獺祭に学んだこと。
どこかで似たようなタイトルのブログ記事を読まれた方もいらっしゃるかもしれませんが。
「獺祭」というお酒が人気なのだそうだ。昨今は若者の日本酒離れが進み、酒蔵の数も40年前に比べると半数以下に減り、日本酒の売上も年々右肩下がり。そんな中で、売上をうなぎ昇りにしているのが「獺祭」というお酒。
では、「獺祭」はどこで造られているのか。なんと私と同郷の山口県なのだ。しかし、山口県出身の私でさえ、山口県は酒処、という印象は全くない。お酒といえば、新潟とか福島とかお米とお水が美味しそうな北国のイメージが強いし、西日本で酒処といっても兵庫の灘か広島の西条あたり。九州はお酒というより焼酎だし、山口県のお酒、といっても全くピンとこない。
では、何故「獺祭」は売れたのか。3つポイントがあるようだ。
1つ目は、徹底した品質の向上。お酒の本質はまず美味しいこと。そのために、手間暇かけたお酒造りをしている。それは、まさに「謙虚に、真摯に自分を見つめてスキルを向上させ続けていくこと」に相違ない。決して手を抜かない、いつも全力で自分たちの目指すものを追求していく姿勢を持ち続けること。
2つ目は、常に最新の技術を取り入れていること。「獺祭」の仕込みの工程は手作業で手間暇かけて行われるが、仕込みと同じく重要な仕上げの工程では最新の技術をとりいれている。最新の技術に手を出すということはそれだけリスクが高まる、ということなのだけれど、そのリスクを敢えてとる=挑戦し続けることにより、本質である美味しさを追求している。創意工夫、まさにそれだろう。
そして、3つ目、私はこれが今一番求められていることだと思う。それは、売れない時期でも、営業(社長自ら)が一件一件酒屋を廻って、セールスをかけ続けたことだ。断られても断られても、諦めずにセールスして廻ったことだ。
まずはお店に置いてもらわなければ、いくら「獺祭」が美味しいお酒でもその良さは伝わらないし売れない。
ひとりでも多くの人の目に留まることがなければ、いくら「獺祭」が美味しいお酒でもその良さは伝わらないし売れない。
例え試飲(無料)でも、ひとりでも多くの人に実際に実物を手にとってもらい、実際に飲んでもらわなければ、いくら「獺祭」が美味しいお酒でもその良さは伝わらないし売れない。
(大切なことなので、3度言いました。)
そして、売れなければ、いくら美味しいお酒を造ったって、会社は倒産してその酒蔵は解散するしかない。「獺祭」も本州の西の果ての山口県という辺境で、ローカルに小じんまりとした商売は続けられたかもしれない。でも、倒産や解散というリスクをずっと背負い続けなければならない。実際、この酒蔵も一度、潰れかけたそうである。
「獺祭」も東京や大阪といったひとのいる場所に自分から出向いて、断られても断られても、泥臭く営業をしてきたから、ちょっとづつ酒屋に置いてもらえるようになり、ちょっとづつ日本酒好きに飲んでもらえるようになり、それが広がっていったのだ。本州の西の果ての山口県という辺境まで買いに来てください、飲みに来てください、というだけでは、ここまで売れることはなかっただろう。
自分たちは良いものを創った。それなのに売れなかったら仕方ない。それは言い訳でしかない。そんな言い訳など、私は聞きたくはないし、その挙句に解散なんて姿は見たくもない。自分たちが良いものを創っているのであれば、もっと泥臭く自分たちの創り上げているものをアピールすべきだし、もっと泥臭く営業して廻るべきだ。無料でもなんでも、自分たちの創り上げているのもをより多くのひとに観てもらうように、もっと泥臭く、もっと力を注ぐべきだ。
獺祭に学んだこと、というより、学ぶべきことはまさにそのことなのではないだろうか。
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