『岡田斗司夫の「風立ちぬ」を語る1~人でなしの恋を描いた「風立ちぬ」~』(岡田斗司夫著)薄情者の恋と夢は多くの犠牲の上に成り立っている。
kindle本。宮崎駿監督の『風立ちぬ』を宮崎作品の最高傑作と言う岡田斗司夫さんは、この物語はみんなが思っているような美しい物語ではないよ、と言う。
私が『風立ちぬ』を観て抱いていた最大の違和感は、主人公の二郎君は、震災のときに菜穂子さんとその女中のお絹さんを助けるけれど、二郎君が好意を抱いていたのはお絹さんのはずでした。菜穂子さんが二郎君に忘れ物を届けて、二郎君はもう一度会いたくなって菜穂子さんの家まで行くのだけれど、その時、二郎君が会いたかったのは菜穂子さんではなく、明らかにお絹さんの方だった。それなのに、軽井沢で菜穂子さんと再会を果たすと、菜緒子さんに出会った時からずっと好きでした、と告白していたことだった。
つまり、二郎君は美しいものが好きなのであって、美しければお絹さんでも菜穂子さんでも、どちらでも良かった、ということではなかったのか。そして、二郎君は、ほど美しくはない二郎君の妹君に対してはあまりにも蔑ろにする態度を示す。妹君との約束は平気で忘れてしまうし、いくら身内でもそれはないだろう、という対応を何度も繰り返す。だから、妹君から「薄情者」と言われてしまう。
主人公の堀越二郎は飛行機だけではなく、美しいものが好きである。
岡田さんは、「菜穂子さんの恋がどんなに残酷で美しいかというと、二郎君が菜穂子さんに対して好きだという理由が、『綺麗だから』しかないからです。」と言う。そして、こう続ける。「そう言われている菜穂子さんはどうするのかというと、綺麗でいるしかなかったのです。だから菜穂子さんは、二郎君に綺麗でないところを見せられないから、ひとりで死ぬしかなかったんです。」
二郎君は、高原のサナトリウムに菜穂子さんを一度もお見舞いに行かない。飛行機の設計に没頭しているから。そんな二郎君に焦れた菜穂子さんが二郎君に会いに来ても、二郎君が心配するのは菜穂子さんに会えなかったらどうしよう、という自分の心配ばかり。ひとりで死ぬためにサナトリウムに戻っていった菜穂子さんを追いかけることもなく、飛行機を設計し続ける。そして、菜緒子さんが死んだ後には、菜緒子さんにあなたは生きて、なんてことを夢の中で言わせて、ありがとう、なんて言っている。
彼が設計した戦闘機が米軍にボロボロと撃墜され、挙句の果ては若者たちがバクダンを積んだまま彼が設計した戦闘機に乗って特攻させられ、日本の国民が焼夷弾に脅え家族や家を失って日本の国土が焦土と化しても、ただ彼の欲望は美しいもの(飛行機)を作りたかっただけだ。二郎君の夢は、そんな多くの若者や日本人の犠牲の上に成り立っているものであったけれども、二郎君はそういうものを棚上げできる強さを持っている。無関心、という強さを。そして、無関心、という強さを私たちは残酷、と呼ぶ。
二郎君の声をあてた庵野監督の「エヴァみたいに画で残酷と美しさを見せるんではなく」、一見美しいと思われる物語の裏側に人間の持つ残酷さを描いた宮崎監督。宮崎監督は引退作にして、岡田さんの言うように最高傑作を創り上げたのかもしれない。
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