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2013年9月 6日 (金)

【安吾を読む】『ヤミ論語』 いい加減、日本人は「こりる」ことを覚えたい。


太宰治の死について、坂口安吾はこのように語る。

「人間の思想に、どうしても死なねばならぬなどという絶体絶命のものはありはせぬ。死ななければ、生きているだけのことである。同じことだ。文学者には、書いた作品が全部であり、その死は、もう作品を書かなくなったということだけのことである。」

だから、安吾は言う、太宰は死ななくとも良かった、のだと。一見、突き放しているように思えるが、友を失った悔しさを安吾が噛みしめているようにも思える。そして、これは安吾の決意でもある。生きている間こそ、すべて。死んで作品を残すなど、ナンセンス。


また、安吾はこりることの必要性についてこう語る。

「日本人は地震にこりないのである。近頃の有様では、殆ど戦争にもこりていないようである。
禍いを利用する、なんでも利用して、より良くしようとする心構えは、文明の母胎であるが、それには、先ず、こりることが第一だ。」

太平洋戦争でアジア諸国を巻き込んで散々な目にあっても憲法を変えて戦争がいつでもできる国にしたい。東北の復興が進んでいないのに東京にオリンピックを招致したい。福島の原子力発電所の事故の原因究明も事故の復旧も全くできていないのに原子力発電所を動かしたり国内に新しい原子力発電所を作ったり海外に原子力発電所を売り込みたい。

安吾の時代と何も変わっちゃいない。そもそも人間はそんなに便利に変われるものではないけれども、こういうことを言いだすひとたちに共通しているのは、「懲りていない」からだ。そして、日本には懲りていないひとたちが多すぎる。


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