『OPUS/作品』同じ音符の並んだ楽譜を演奏しても2度と同じ演奏ができないように、人と人との関係も一定で不変であることはできない。
『OPUS/作品』
2013年9月10日(火)~9月29日(日)
新国立劇場 小劇場
作:マイケル・ホリンガー
翻訳:平川大作
演出:小川絵梨子
出演:段田安則、相島一之、加藤虎ノ介、伊勢佳世、近藤芳正
日本初演となる作品は、シニカルでシリアスでそれでいてコメディという、不思議な和音を奏でる作品だった。
舞台を中央に置き、四方をお客さんが取り囲む。何の装飾もなく、何の隠しごともなく、カルテットの4人+1人の姿と心理までもが観客の前に晒される。役者にとっては過酷な舞台かもしれない。
かっては大きな賞も獲ったことのある弦楽四重奏団ラザーラ・カルテット。ホワイトハウスでの演奏会が決まっているが、ヴィオラのドリアン(加藤虎ノ介)を解雇。解雇したドリアンが行方不明になりメンバーは気を揉むも、演奏会に向けて、彼らは新しいヴィオラとしてグレイス(伊勢佳世)という若い女性を迎え入れる。
カルテットは、演奏会に難曲であるベートーベンの作品131を選び、限られた時間の中で出来る限りのリハーサルを行おうと奮闘するが、リーダーである第一ヴァイオリンのエリオット(段田安則)は演奏ミスを繰り返し、また演奏の解釈等を巡って、第ニヴァイオリンのアラン(相島一之)やチェロのカール(近藤芳正)と事あるごとに対立する。
カルテットは何とか無事に演奏会を終えたのだが、楽屋に戻った4人の前に、突如としてドリアンが現れる。
それからの展開は、読めていた。多分そうなるんだろうなと思っていた展開どおりだった。その宣告がされたとき、会場から笑い声が溢れた。でも、私は笑えなかった。エリオットは恐らくこの日が来ることを怖れていたのかもしれない。自分の実力は自分が一番良く知っている。ドリアンという天賦の才に恵まれた者の幻に彼は追い詰められていく。彼の苛立ち、私はこれが良く判ってしまう。だから、私はエリオットを笑えない。
お客さんが退場していく中、私は舞台に近づいて、舞台に取り残された、あの残骸を見つめていた。彼らが奏でていた音楽の残骸。それは永遠に取り戻すことはできない。人は、人と人との関係は移り変わっていく。同じ音符の並んだ楽譜を演奏して、2度と同じ演奏ができないように、その場面、場面で人と人との関係は一定で不変であることはできない。
↓4人+1人が奏でた楽譜のようなタペストリー。
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