『さくらの丘で』(小路幸也著) かって戦争の象徴であった桜が、今は違った姿を見せる。
亡くなった祖母の遺言で、一本の鍵と「さくらの丘」を託された満ちる。その丘は、満ちるの祖母と同じく少女時代を過ごした友人二人の孫にも託されていた。なぜ祖母たちはその土地を所有していたのか、どうして子ではなく、孫たちに譲ることにしたのか。その疑問を解くために、満ちるたちは「さくらの丘」へ向かう。
太平洋戦争。日本が起こした戦争。その象徴の花たる桜。かって戦争の象徴であった桜が、今は違った姿を見せる。
1945年以降、日本は戦争を起こしていないし、戦争に巻き込まれてもいない。日本は他国を侵略していないし、他国から侵略されてもいない。そういう平和を作りだしたのは何か? 戦争の放棄を謳った日本国憲法なのか? しかし、法律が私たちの心を縛ることはできない。もう戦争はココリゴリ、戦争は嫌なもの、という戦争を体験した世代の想い、そしてそれが次の世代に、そしてさらに次の世代に受け継がれてきたからこそ、日本人は、もう戦争なんかやりたくない、という想いを持っているのではないだろうか。その想いが文章として表れているのが、日本国憲法ということなのだろう。
最近は日本国憲法を変えようとする動きがまた活発になっているようだ。憲法を変えようとしているひとたちは日本が他国に攻め入ることのできる軍隊を持つ「普通の」国にしようとしている。「この道しかない」とアベさんは言っているが、「この道」はいつか来た道にしか思えない。アベさんとかナチス発言のアソーさんとか、軍事オタクのイシバさんとかがやりたいことって、とどのつまり、「戦争」なんじゃないか。
グレートリセットとか謳っているイシンのひとたちもそうかも知れない。行き詰ったときに国ができるグレートリセットは「戦争」である。それは歴史の教えるところでもある。
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