『内田さんに聞いてみた 「正しいオヤジ」になる方法』(内田樹,木村政雄著) 私は自分もやがて年をとり、老人になることを想像できないひとの言葉を信じない。
元吉本興業常務、木村政雄さんが、内田樹さんに「正しいオヤジ」になる方法を聞いてみたという対談をまとめたもの。かつて日本に存在した「オヤジ」はすっかりその存在感を失い、橋下徹さんを代表とする「あんちゃん」世代が「オヤジ」的なものを駆逐しようとしている。しかし、「あんちゃん」世代の旺盛はすでに終わりを迎えつつあり、その下に「青年」的なる世代が台頭してきている。内田さんたちは、その新しい「青年」たちに期待を寄せているようである。
確かに、「オヤジ」というのは印象が悪い。年齢を重ねても輝いている女性は世間の注目を浴び、年下の女性たちから憧れたりもするけれど、男性の場合はなかなかそのようにはならないようでもある。「あんちゃん」世代からして観れば、「オヤジ」たちは既得権の上に胡坐をかき、自分たちが得てしかるべき富や利益を決して手放さない、まさに倒すべき敵のように見られている。彼らは時に「老害」という言葉までも動員し、「オヤジ」たちを害虫のごとく攻め立てる。
しかし、彼らはいつも忘れている。自分たちもやがて年をとり、老人になっていくことを。
「あんちゃん」世代は自分たちが50歳までしか生きないつもりなのかもしれないが、今や人生50年の時代ではない。「あんちゃん」世代が60歳、70歳、80歳という年になったときに、今と同じことを言い続けることができるのか。やがて、自分たちが今自分たちが敵と見なしている年齢になる、ということすら想像できないひとたちの言葉を、私は納得することなど、到底できない。
世代というものは必ず揺り戻しがある。「あんちゃん」世代の下の新しい「青年」世代は、所詮世の中は金と欲、それを手にしたものが勝ち組という「あんちゃん」世代のようにはならないだろう。新しい「青年」世代は礼儀正しく、富や利益を独占することよりもシェアすることに価値を見出し、より優しい社会を築いていくかもしれない。
そういう社会が訪れたとき、新しい「青年」世代年をとった「あんちゃん」世代を「老害」などとは呼ぶことはないかもしれない。それでも、自分たちが「老害」などと言われることなど決してない、というように振る舞うことは、やっぱり想像力が欠如している、どこかおかしい、と言わざるをえない。
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