『ソクラテスはネットの「無料」に抗議する』(ルディー和子著)無料という贈与への返礼は、私たちのプライバシーを差し出すことなのか。
面白そうなタイトルなので読んでみた。
ソクラテスは「書き言葉が話言葉にとって変われば、若者たちの頭が悪くなる」と苦言を呈したそうだ。ソクラテスにとっては対面での対話こそがすべてであった。だから、ネットがダメなのか???よくわからない。
この本で語られるのは、ソクラテスが生きていた時代に「無料」はありえなかった、ということだ。最近は送料無料、通話料無料、と「無料」が溢れている。かくいう私もこのブログを無料で利用させてもらっているし、ツイッターもメールも無料で利用させてもらっている。しかし、私たちはこの「無料」というものが当たり前のようになってしまっていて、なぜそれが「無料」であるか、ということには注意を払わない。
経済活動は、ソクラテスが生きていた時代以前から、「贈与」によるものか、金銭による「売買」によって成り立つ。「無料」はお金を払っていないので、「売買」ではない。そうであるならば、「無料」は「贈与」なのか。「贈与」であるなばら、「贈与」を受けたらそれが負い目になり、「お返し」をしないといけないのに、「無料」という「贈与」を受けた私たちは「お返し」をしているのか。
そして、「無料」という「贈与」の「お返し」とは、私たちのプライバシーだと著者は言う。「無料」という「贈与」をの「お返し」をしないことは許されないのだから、私たちはプライバシーを差し出さなければならない、と言うのだ。
しかし、これは「贈与」の正しい姿ではない。その点は著者も指摘はしているが、著者はその間違った「贈与」の姿を本来あるべき「贈与」の正しい姿に戻すためにどうすれば良いかを語らない。恐らく語れないのだろう。だから、自分のプライバシーを差し出さずに「無料」を使うのは自分勝手で無礼なことだ、というような言い方しかできない。
「贈与」ということを言いだすのであれば、内田樹センセーの本でもお読みになったらいかがだろうか。
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