『出雲と大和――古代国家の原像をたずねて』(村井康彦著)出雲が大和に進出して邪馬台国を作る。邪馬台国は大和朝廷とは断続している。
なぜ、大和の中心にある三輪山に出雲の神様が祀られているのか? その謎を解き明かすことから著者は推論していく。大和が出雲と無関係であればわざわざ出雲の神を祀ることはないだろう。これは明らかに出雲勢力が大和に進出し証左ではないか。もっともな見解ではないか。著者の主張するところは下記の3つではないかと思う。
1.出雲勢力が早くから大和に進出した。
大和の中心にある三輪山に出雲の神様が祀られているということからも、出雲勢力が早い段階から大和に進出していたと推論できる。
2.その勢力が大和に邪馬台国連合というものを作った。(邪馬台国畿内説)
大和に進出した邪馬台国連合が邪馬台国連合というものを作った。「魏志倭人伝」の邪馬台国に至る行程の後半部分、「不弥国から投馬国まで、南に水行20日」「投馬国から邪馬台国まで、南に水行10日、陸行1月」について、畿内説がとるように方向の「南」を「東」の間違いだとする。そして、私が目からウロコだったのが、「不弥国から投馬国まで、南に水行20日」の水行を東に、そして瀬戸内海を進んだのではなく、日本海を進んだとする。凪の多い瀬戸内海を進むよりは対馬海流に乗って日本海を進んではないか、と著者は推論する。そうすれば、「投馬国」は出雲にあったと言うことになる。「投馬国から邪馬台国まで、南に水行10日、陸行1月」は、出雲から若狭まで東に水行10日、若狭から山城をとおって大和まで陸行1月、なるほど、ひったりと符合するかもしれない。そして、このルートは北九州と出雲とそして大和がひとつに繋がっていた、という証左でもある。
3.邪馬台国と大和王権は断絶している。
出雲に進出した出雲勢力は、日向から進出してきた神武の勢力に国を譲る。大和に留まって恭順したり、尾張方面に逃れたものもいるが、神武の勢力に国を譲る。そのことを記紀は暗示している。そして、出雲勢力の邪馬台国連合は、大和王権と斬絶したものであるがゆえに記紀には登場しない。国を譲られた神武の勢力はやがて、出雲の旧勢力を弱体化し駆逐していくが、出雲の祟りを恐れて出雲大社を建立する。
これらは主流とは言えない考えかもしれない。しかし、多くの重要な示唆を与えているようにも思える。日本という国ほど、国がどのようにできあがったのか、がわからない国は珍しい。だから様々な仮説がなされ、それを検証していくことでしか、その答えを導き出すことはできない。著者は総社めぐりからこのような仮説を導きだした。古代の神たちは細々となのだろうが、その声を今に伝えている。そのような声に耳を傾けることが大切なのかもしれない。
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