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2013年4月17日 (水)

『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』(平田オリザ著)「みんなちがって、たいへんだ。」それを楽しみに変えることがコミュニケーション能力かもしれない。

今や、企業が新卒採用にあたって最も重視している能力は、9年連続で「コミュニケーション能力」(80%超)だそうだ。しかし、その「コミュニケーション能力」というものが具体的にどういう能力のことを指しているのか、実のところ、採用する企業も採用される学生もわかっていない。それなのに「コミュニケーション能力」だけがクローズアップされ続けている。
著者は劇作家であり演出家であるが、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授であり、国語教科書に掲載されている平田のワークショップ方法論により、子どもたちが教室で演劇を創る手助けをしている。教育に携わっているものとして、また劇作家・演出家として、現状の「コミュニケーション能力」に苦言を呈し、そして求められる「コミュニケーション能力」とは何か、そしてその能力を身につけるためにどうすれば良いかを述べている。

「わかりあえる」ことを前提とした「空気を読む」といった日本人同士にしか成り立たないようなコミュニケーション能力も国際化や異文化との交流が求められている時流に合わなくなってきている。
一方で、「わかりあえない」ことを前提とした、かって重要視されたディベートやアカウンタビリティの能力も相手を打ち負かすための能力であり、自分の主張を相手に説き伏せる能力であり、押しつけに過ぎない。
国際化、異文化交流が進めば、多様な価値観のせめぎあいの中に身をおくことであり、もはや「わかりあえる」ことを前提としたコミュニケーションは成り立たない。「わかりあえない」ことを前提とし、相手との間でお互いが納得できる結論を形成していくことが求められている。「みんなちがって、たいへんだ。」このたいへんから目をそむけることができなくなっている。

著者は演劇人であるゆえに演劇における「対話」というものを引き合いに出す。著者の推進している演劇を通じてコミュニケーション能力を身につけるという試みは面白い。役者が場を創っていくように、コミュニケーションできるようになれば、「みんなちがって、たいへんだ。」という状況も楽しいものに変わるかもしれない。

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