『増補版 松田聖子論』(小倉千加子著)「松田聖子が永遠に処女のままであるならば、世の男どもは永遠に童貞のままである」とこっそりと言う恐ろしい本。
1980年は、山口百恵の引退と松田聖子のデビューという、象徴的なできごとの起きた年だった。小倉さんは、山口百恵の退場と松田聖子の登場を、断続したものではなく、連続したものとしてとらえます。
「聖子は、欲望を自覚した禁欲的な少女なのです。
百恵の曲が、少女の成長にあわせて、系列的に発展していくのに対し、聖子の歌はいつも、関係の発端から一歩進んだところまで持ちこんで、プツンと終わるのです。
少年を誘惑するしたたかさはあっても、実際に身体を委ねるわけではないのです。聖子の真骨頂は、そこにあります。つまり彼女は永遠に処女のままなのです。」
長い引用になりましたが、私はこの論ほど山口百恵というアイドルと松田聖子というアイドルを端的に捉えた論を他に知りません。この本の半分以上は山口百恵論ですが、この本のタイトルが「松田聖子論」であるように、松田聖子について語るときの切り口が鋭い。
松本隆が作詞を担当した松田聖子の80年代の楽曲はどれもこれも素晴らしい。そして、松本隆-松田聖子が繰り返し再生産した世界を見事に言い表しています。
そして、この文章は、語らない部分で恐ろしいことを言っています。松田聖子が永遠に処女のままであることは、裏を返せば、世の男どもは永遠に童貞である、ということなのです。これは女性の生き方を考察した本であるのと同時に、男性の生き方をも考察した本なのです。
私はかってテレビ時評の同人誌に関わっていたことがあり、あくまで素人レベルだったけれども原稿をかかせてもらっていたことがあります。そして、この『松田聖子論』という本は、私にアイドルについて論じることを勇気づけてくれた本でもありました。そして、私は今でも年甲斐もなく、アイドルというものを追いかけています。なんとも因果なものです。
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