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2013年3月26日 (火)

演劇『LOST and FOUND』(2)真紘を救い出すことは、自分自身を救済することだった。

演劇『LOST and FOUND
2013年3月21日(木)~2013年3月24日(日)
築地ブディストホール
演出:菅野一人
出演:笹丘明里、立山誉、菅原聡史、金子美幸、岡元愛里、増田桂次、大平志保、永山久良羅、久原奈津希、中嶋朗雄、林つん子、文夏、高山哲平、香西静、奥田粋弓、津幡遼、大橋夏菜、栄森美友紀、大和鈴、吉越千帆、大胡愛恵、岡田茉央、桑原芽衣、柴田彩花、菊池恭平、林歩、IZUMI、ピリカ・サクソフォンカルテッド(十倉彩子、森山宇香、山川寛子、石橋友里恵)


ここから先は、私の想像です。この劇の感想ではありません。

■この物語は「タイムスリップ」ものではない。
いきなり何を言い出すのかと思えば、私はこんなトンデモないことに思い至った。

この物語は「タイムスリップ」ものではない。

私はタイムスリップものは脚本家にとって鬼門だと思っている。なぜなら、タイムスリップものは必ずといってよいほど、矛盾が出てしまうからだ。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のように、その時代に存在しなかった者が過去にタイムスリップする場合はまだ良いのだが、その時代に存在した者が過去にタイムスリップする場合はどうか。この物語の場合、2013年から2003年にタイムスリップした6人は、高校生の彼らになっている。身体だけ2003年の彼らで、精神は2013年の彼らのままだ。魂だけ入れ替わったということになるのだろうか。
だとすれば、彼らの2003年の卒業式の1か月前から卒業式までの記憶はどうなってしまうのだろう。消えてなくなってたのだろうか。
そして、彼らの変化を、真紘が見逃すとは思えない。家や学校での優等生としての顔と夜のストリートダンサーとしての顔を持っていた真紘。そんな真紘は外界の微妙な変化にも敏感なはずだ。
とすれば、あの真紘は2003年の真紘ではなかった、ということにならないか。彼らは、2003年にタイムスリップしたのではなかった。


■幻、もしくは鏡としての真紘
では、彼らはどこに行きついたのか。そして、彼らの出会った真紘とは何者だったのか。

真紘は幻であり、そして鏡だった。

というのが私の思いである。真紘は鏡、彼ら自身を写す鏡だった。10年後の6人。彼らはこう叫んだ。「こんなはずじゃなかった!」私は失われた10年だとか、ロスト・ジェネレーションだとかいう考えに与するつもりは毛頭ないが、そういう考えに囚われていたのが、まさに彼らの世代ではなかっただろうか。いつかどこかに「本当の自分」がいるはずで、「いまここの自分」は「本当の自分」ではない。自分探し、というものが持て囃され、「本当の自分」と「いまここの自分」のギャップこそが悩みとなる。「こんなはずじゃなかった!」「本当の自分はこんなんじゃない!」10年後の彼らの叫びは、まさに2003年の真紘の叫びではなかったか。

頭脳明晰で医学部への進学が決まっていて、スポーツ万能、生徒会長で、人当たりが良く、誰にでも分け隔てなく親切に接し、お似合いの恋人もいる。まさに理想のスーパー高校生。そんな真紘は心の底で叫んでいた。「こんなはずじゃなかった!」「本当の自分はこんなんじゃない!」兄の右手の自由を奪うような事故がなければ、そんな理想のスーパー高校生ではなく、一日中一年中踊っていたかった。ダンスしている自分が本当の自分で優等生の自分は本当の自分ではない。誰もが羨む真紘はそんな自分の姿を偽りだと思っていた。

10年後の6人は、そんな真紘の姿を初めて知る。「こんなはずじゃなかった!」「本当の自分はこんなんじゃない!」という想いをあの真紘も思っていた。そのとき、真紘は自分たちの鏡に映った姿と重なる。真紘も自分たちと同じ想いを抱えていたのだから。自分たちと同じような絶望を抱えて。

彼らは真紘に「生きろ!」と叫ぶ。「こんなはずじゃなかった!」「本当の自分はこんなんじゃない!」それでも、生きろ、と。彼らは真紘を未来に向かう電車に乗せようとする。

しかし、真紘の生きるべき未来は、10年後の世界ではない。2003年の続きの世界だ。例えそれにより、罪を償うことになっても、いや、罪を償って生きるべきではないのか。彼らは真紘を電車に乗せたのではない、真紘という鏡に映った自分自身を発見し、救いだすことができた真紘という自分自身を未来に連れて帰らなければならなかったのだ。

「それでも私は生きることに決めた。」真紘の最後の科白は、真紘自身の科白ではない。彼ら6人の科白である。「こんなはずじゃなかった!」「本当の自分はこんなんじゃない!」それでも生きていくと決意したのは、彼ら6人ではなかったのではないだろうか。

電車が着いた時、恐らく真紘はそこにはいない。しかし、真紘を救いだし、真紘にそれでも生きようと決意させた彼らは、自分自身を救いだし、自分自身が生きようと決意した。

これが、私のこの物語のエンディングである。

自分を救済できるのは、自分しかいない。本願寺というお寺の中で、なんとも、私は釈迦の教えに辿り着いたようである。


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