『日本のリアル 農業・漁業・林業 そして食卓を語り合う』(養老孟司著) 目に見えるモノを信じる時代を越えて、日本人のリアルは、自然の中にあるのかもしれない。
養老先生が、日本の「リアル」として対談する分野は、第一次産業。農業、漁業、林業、そして食べ物。
日本人の「家族の絆」の実態を調査し続ける岩村暢子氏。不耕起栽培を推奨し農薬も肥料も使わない農業で強い米を作った岩澤信夫氏。植林によって海を変え、震災をも乗り越えようとする牡蠣養殖家畠山重篤氏。日本になかった合理的な間伐を普及する鋸谷(おがや)茂氏。
養老先生は、日本人がモノづくりが得意だというのはウソで、昭和20年8月15日という「断絶」によって、世の中に起きていることは信じられないけれど、目に見えるモノは信じられるという世代によって、モノづくりが支えられてきた、と言います。よく日本人は手先が器用だとか工夫や改善が得意だとか勤勉だとか、だから日本人はモノづくりが得意という言われ方をされるが、そうではなく、目に見えるモノに対する信仰が日本のモノづくりを支えてきたという見方はおもしろい。
1(第一次産業)×2(第二次産業)×3(第三次産業)=第6次産業という言い方があるそうだ。農産物や魚や木材などを加工・流通・販売まで展開した経営形態を第6次産業と呼ぶそうだ。ベースはあくまでひとの営みを根底から支える第1次産業。戦後の日本は第1次産業を蔑ろにし、モノづくりだと言って第2次産業を促進し、挙句にもうモノづくりの時代ではないと言って第3次産業を促進してきた。それは、目に見えるモノに対する信仰が薄れ、目に見えるようで見えないお金というものに信仰の対象が移った流れでもある。そして、今やお金というものに対する信仰が薄れて、もはや日本人は何を信じて良いのか、わからなくなってきているのではないか。
しかし、日本人がそもそも信仰していたものがある。それは「自然」である。自然は恵みと豊かさをもたらす神でもあり、荒ぶる神でもある。今という時代はまさに、そこに回帰する時代にさしかかっているのかもしれない。日本人のリアルは、自然の中にあるのかもしれない。
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