『浄瑠璃を読もう』(橋本治著) 江戸時代も現代も、日本人のメンタリティは全く変わっていないことを浄瑠璃は教えてくれる。
「人形浄瑠璃のドラマが近代の日本人のメンタリティの原型を作った」と橋本治は言う。しかし、私たちは普段、文楽を観ることはないし、ましてや人形浄瑠璃のテキストを読むことはない。
しかし、橋本治が紐解くことによって、浄瑠璃の物語がいかに面白いのかがわかる。
『仮名手本忠臣蔵』は、忠臣蔵のお話ではあるけれども、それは決して敵討ちという武士の論理を賛美しているものではない。むしろ、そういうものとは関係のない市井のひとびとの義理と人情に重みを置いている。江戸時代は、市井のひとびとに政治への参加の道がまったくなかった時代、それが当たり前だった時代である。そんな時代に市井のひとびとが政治というものに対してどういう距離感を持っていたか、そして政治というものに関わりなくいかに生き生きと暮らしていたか、がこの物語からは伝わってくる。そして、そういう状況は、成人に参政権がある現代にも通じているのではないだろうか。
『義経千本桜』は、義経を桜、すなわち英雄に見立てている物語である。実際の源義経はジャニーズが演じるような美男子ではなかったようだが、そうであっては困るのである。歴史を改ざんする、自分たちの都合のよいように解釈し作り直す、ということは権力者の専売特許ではない。市井のひとたちに支持される物語も然り、である。昨今の大河ドラマは、男たちが血で血を洗う抗争を繰り返し、女たちが政略の道具でしかなかった戦国時代をも、「男は家族のために戦っている」「女はキャリアアップのために戦っている」というような現代ウケするような物語として語られる。江戸時代も現代も全くかわらない。
そして、『菅原伝授手習鑑』が出てきて、やっとこさ私たちが唯一知っている浄瑠璃作家・近松門左衛門が登場する。近松門左衛門は有名だが、異端だそうだ。そして、やがて浄瑠璃は完結したものとして進化を止めてしまう。現代では文楽はユネスコの世界無形文化遺産となっていて、まさに過去の遺物となってしまってる。それに追い打ちをかけるように、浄瑠璃の聖地ともいえる大阪でさえ、某市長によって迫害じみた扱いまでされている始末である。
明治維新や太平洋戦争の敗戦という断絶のせいで、私たちは江戸時代とは断絶した日本に生きているような気分でいるけれども、浄瑠璃が教えてくれることは江戸時代も現代の日本人もそのメンタリティは全く変わっていないのかも知れない。
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