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2012年12月26日 (水)

『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎,大澤真幸著)西洋中心の近代社会を理解するには、まずキリスト教を知ることから。

社会学者の橋爪大三郎さんと大澤真幸とが対談形式で、「キリスト教」について解説した本。大澤さんが司会役で橋爪さんに質問し、橋爪さんがそれに答えるという形になっている。

日本はキリスト教徒の割合が低いので、クリスマスは便乗してお祝いしているけれど、キリスト教といってもあまりピンとこない。しかし、今の西洋中心の近代社会は、キリスト教の影響が大きく、従って、西洋中心の近代社会を理解するためには、まずキリスト教について理解しなければならない、というのが議論のスタートになっている。

明治維新以降、日本は急速に近代化を進めた。しかし、それは和洋折衷、和の魂を残したままの近代化であった。日本は哲学や工業化の技術などを西洋から取り入れた。しかし、禁止されていたキリスト教の布教は許されたけれども、日本にキリスト教が普及することはなかった。
両氏は近代社会の行き詰まりはキリスト教に問題があると捉えているようであるが、私はキリスト教と近代化をセットで導入しなかった日本に問題があるかと言われれば、そうなのかなあ、と不思議な気分になる。

日本人は空気を読むとかそうやって集団に縛られるとか言われるけれど、ナントカ教に生活の一部始終をあれをしろ、これをするな、と言われるのがどうも嫌いなのではないだろうか。いたるところに神様がいて神様と共存している、ということはある意味、神様と人間が対等ということだと思うけれど、キリスト教などの一神教はそうではない。神様は人間を超越した存在であり、生まれたときから罪を得ていると言われても、私なんかはカンベンしてくれ、と言いたくなる。

しかし、一神教を信じているひとたちは、そうではない。そして、このグローバル社会では、そういうひとたちとお付き合いしなければならない。グローバル社会では、そういうひとたちが自分たちに合わせろ、と要求してくる。そして、そういう交渉では日本は彼らの言いなりになっているかのようでもある。そういう状況を打開するためには、英語を喋れるようになることよりも、まずは彼らの社会のベースとなっている一神教というものを知ることがやはり大切なことなのかもしれない。



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