『冥王星を殺したのは私です』(マイク・ブラウン著,梶山あゆみ訳) 私たちは冥王星を失った。しかし、科学というものは天空の星のように惑いながら進んでいくものなのだ。
水金地火木土天海冥。太陽系の惑星をそのように覚えたひとは多いと思う。しかし、2006年8月、冥王星はこれまでの太陽系惑星の地位を剥奪され、準惑星(当時の言い方だと矮惑星)に降格した。太陽系の惑星は、9つから水金地火木土天海の8つに減ったのだ。この本の著者、マイク・ブラウンこそ、その事件の首謀者である。彼は冥王星のさらに外に「10番目の惑星」を発見し、一躍時の人となった天文学者だ。私も10番目の惑星の発見のニュースを覚えていて、私たちが知っている気分になっている太陽系ですら、まだまだ未知の世界が広がっているのだなあ、と驚いたものだ。
しかし、事態は一変して、「10番目の惑星」と言われていたものが果たして惑星と呼べるのか、という議論に変わり、「10番目の惑星」が惑星と呼べないのであれば、冥王星も惑星と呼べるのか、という議論に変わっていく。そして、それは天文学会を揺るがし、冥王星を惑星のまま留めたい学者たちと、それに異議を唱える学者たちとでせめぎ合いが続き、そして、ついに、冥王星は惑星という称号を失う。
この本では、マイク・ブラウンがどうして、冥王星の外の世界に目を向け始めたのか、というエピソードから始まり、どうやって、冥王星の外の世界に天体を見つけるに至ったか、10番目の惑星の発見にまつわる妨害などというエピソードが彼の私生活(妻との出会い、結婚、娘の誕生)と絡めて語られる。科学はちょっと苦手、というひとにもとっかかりやすい読み物になっている。
彼は、「10番目の惑星」の発見者として歴史に名を残すこともできたかもしれないが、その道を歩まなかった。それは、彼の科学者としての矜持だろう。「10番目の惑星」を発見したときは興奮していた彼が、科学的な目で世紀の大発見だったはずの「10番目の惑星」を冷静に惑星ではない、と議論の先頭に立って言いだしたことは賞賛に値する。
私たちは、その常識から冥王星を失った。しかし、科学というものは日進月歩、天空の星のように惑いながら進んでいくものだ、ということに改めて気づかされた。
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