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2012年8月 3日 (金)

『映画は父を殺すためにある: 通過儀礼という見方』(島田裕巳著)  「通過儀礼」という観点から映画を分析した本。

映画には様々な見方があって良いと思うが、宗教学者でもある著者は「通過儀礼」という観点から映画を分析している。『ローマの休日』で、アン王女は窮屈な生活を抜け出そうとローマの街に出て、アイスクリームを食べ、ショートカットにし、タバコを吸おうとしたり、追っ手と大立ち回りを演じ、そういう1日を過ごし、戻っていく。しかし、そのローマの1日の前とい後で、アン王女の立場や彼女をとりまく状況は全く変わらないが、アン王女の内面、心構えが変わる。『スタンドバイミー』で少年たちは鉄橋を越えちょっとした冒険をする。それにより、街に戻っても彼らを取り巻く状況は変わらないが、彼らはこの冒険で何かを乗り越えており、やはり彼らの内面、心構えが変わっている。

その一方で、宮崎アニメには、「通過儀礼」がない。それを曖昧にしてしまったり、それを回避している。宮崎アニメの登場人物たちは、自らに課せられる試練と、それを乗り越えるという過程がちぐはぐで、ゆえに、スッキリしないと著者は言う。宮崎駿という、空を飛ぶ少女たちの父親は、空を飛ぶ少女をいつまでも手元に置いておきたいがゆえに、彼女たちに試練を乗り越えることを回避させているのかもしれない。そして、それは日本人のメンタリティと深く関わっているようにも思える。

一方で、アメリカ映画は、父親を殺して、試練を乗り越えていく、という物語を繰り返し繰り返し描いている。『愛と青春の旅立ち』や『フィールド・オブ・ドリームズ』は、主人公がそれを乗り越えていくことを回避してきた主人公が、もう一度父親と向き合い、それを試練として乗り越えていく、という物語だととれる。『スターウォーズ』に代表されるように、アメリカ映画の主人公たちは、自分の前に立ちはだかる父親を試練として、父と向き合い、乗り越えて、そして父と和解していく。

さらに、著者は、日本映画。黒澤明や小津安二郎の作品に「通過儀礼」を見出そうとする。さらに進んで、『寅さん』シリーズにも。定職につかずふらふらし、すぐにマドンナに恋をしてそして振られる(もしくは振る)ことを繰り返している寅さんはまるで何も学んでないかのように見える。寅さんシリーズには明確な「通過儀礼」はないが、寅さんは長い時間をかけて徐々に変わっていっており、それが「通過儀礼」だと著者は結論づけている。
(しかし、この本の最初に、「通過儀礼」とは限られた短時間の中で行われるもの、とも定義しており、一見矛盾しているようにも思える。日本人は、一神教のアメリカのように明確な「通過儀礼」を定義しにくくなっているのかもしれない。)

なかなか面白かった。近々、『愛と青春の旅立ち』や『フィールド・オブ・ドリームズ』など、もう一度観なおしてみようと思う。今観ると、また違う感じ方をするかもしれない。


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