『独立国家のつくりかた』(坂口恭平著) 日本国政府が日本国憲法第25条(生存権)を遵守できていないとして独立を宣言した男のたたかい。
日本国憲法の第25条は、生存権を定めている。「第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
著者は、この日本国憲法第25条で定める生存権を日本国政府が遵守していないとして、自分で新政府を設立し、初代内閣総理大臣になった。
ひとは何故、お金なしで生きていけないのか?
ひとは何故、住むところなしで生きていけないのか?
私たちは、それを疑問と思わずに、生活している。そういうことをいちいち疑問視していれば、生活していけないからだ。しかし、著者は違う。そういう根本的な疑問を疑問として真っ向から捉え、それに懸命に答えようと行動しているように思える。そのヒントは路上生活者から得たもののようだ。路上生活者はお金がなくても、都市の恩恵を受けて水や食料などを得て生きているし、住むところがなくても生きている。お金がなくても、住むところがなくても、生きていける社会を作りたい。それが著者の思いのようである。
最近、生活保護の受給をめぐってテレビタレントがやり玉にあげられたり、国会議員が鬼の首をとったように息巻いているが、日本国政府は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」という日本国憲法第25条の生存権を守るために行動しているのだろうか、ここで問い直してみるべきかもしれない。緊縮財政の道を歩めば、真っ先に削減されるのは生活保護といった国民の福祉だし、それによって苦しめられるのは持たざる者である。生活保護の不正受給や疑惑を暴き立てて「働かざるもの食うべからず」「正直者が馬鹿をみる」といった論調が様々なメディアで踊ることに、私は不安と恐さを覚える。そういうことを言うひとたちは、自分がお金を稼げなくなる、自分が住むところがなくなる、という「想像力」が欠如しているとしか思えない。そういう想像力があれば、生活保護を受けにくい社会よりも、困ったときには生活保護が受けれる社会を築いていく方が、ずっと良いことに気付くはずだ。
著者ほど極端でなくても良い。ものの見方を変えると、もののみかたが拡がることもある。そこからより善く生活するヒントを得ることができるかもしれない。著者のように世の中を変える(著者が言うには、そういう行動を「芸術」と呼ぶ)と息巻く必要もないけれど、自分の周りのひとたちの生活もより善くすることができるかもしれない。想像力をもっと働かせよう。
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