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2012年8月14日 (火)

『魏志倭人伝の謎を解く - 三国志から見る邪馬台国』(渡邉義浩著)  邪馬台国は東シナ海の海の中にあるという『魏志倭人伝』の記述は「正しい」。

邪馬台国はどこにあったのか? 古代史で最も興味を持たれるのがその謎だろう。学者から素人まで、九州だ、畿内だ、いや東北だと、それぞれ推理を働かしている。そのアプローチとして考古学調査とともに議論の鍵を握っているのが、「魏志倭人伝」だ。しかし、「魏志倭人伝」の記述のそのままを行程にすると、邪馬台国は東シナ海の海上にあることになる。そのため、九州説にしろ、畿内説にしろ、それ以外の説にしろ、その説に根拠を与えるために、距離が間違っている、日数が間違っている、方位が間違っている、いやのべの行程ではなくある地点から放射状だ、などと、「魏志倭人伝」がどのように間違えているかをしきりに議論している。そして、それは、「おらが町に邪馬台国を」という郷土愛や地元の活性化政策とも相まって、我田引水にもなりかねない。

そこで抜け落ちているのが、「魏志倭人伝」というのは、『三国志』東夷伝倭人の条である、ということだ。古事記や日本書紀を読んでも、邪馬台国というキーワードはどこにも出てこない。「魏志倭人伝」は、中国で書かれた『三国志』の一部である、ということだ。ゆえに、『三国志』がどういう目的で書かれたものなのか、またどのような世界観に基づいて書かれているのか、ということを理解することなしに「魏志倭人伝」を読んで、距離が間違っている、日数が間違っている、方位が間違っている、と異議を言い立てても無意味だ、ということだ。

『三国志』は、曹魏の「正史」として編まれたものである。そして、「正史」とはその文字のとおり正しい歴史を記したものではない。曹魏が正統な支配者であることを裏付けるために編まれた歴史の書である。そして、それが編まれたのは晋の時代であり、その礎を築いた司馬懿は曹魏の臣であり、その功績を讃える目的もあった。司馬懿は五条原で蜀の諸葛亮を破ったことで有名だが、その後、遼東にあった公孫氏を滅ぼした功績がある。それにより、曹魏は帯方郡を支配することができ、それにより、倭国が皇帝に貢物をすることができるようになった。

今で言う中華思想は、中国の皇帝がその徳によって周辺の蛮族を支配し、秩序ある世界を作るというものだが、それはこの『三国志』の時代からすでにあった。曹魏の西には広大な大月氏国があり、それは曹氏に教化され、親魏王に封じられた。では東(東夷)は? 司馬懿が遼東にあった公孫氏を滅ぼし帯方郡を支配することができたから、東夷にある倭国もまた支配下にはいった、と言いたいのである。倭国の王は親魏倭王に封じられ、それは司馬懿の功績と言いたいのである。

そして、その当時の「東夷」というものが「魏志倭人伝」に色濃く反映されている。女性が多いだとか、入れ墨をしているとか、ついには、孫呉の背後にある強大な国でなくてはらならなかったため、「魏志倭人伝」をそのまま読むと、倭国は東シナ海の海の中にあることにされてしまう。ゆえに、そういう事情で編まれた「魏志倭人伝」の記述は「正しい」のである。距離が間違っている、日数が間違っている、方位が間違っている、と異議を言い立てることは全く無意味なのだ。

それでは、邪馬台国はどこにあったのか? 日本にそれを推測できる書物は残っていない。そうなれば、それは考古学の仕事だろう。


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