『神様のいない日本シリーズ』(田中慎弥著) 「奇跡」は「奇跡」を待つものの前には決して現れない。
「もらっといてやる」発言でお騒がせした芥川賞作家の作品。
イジメを受け、野球をやめたいと言いだした小学生の息子に、息子の部屋の襖越しに息子にイジメの原因となった「豚殺し」の祖父や、息子の名前の由来について、父がひたすら独白するという作品。
息子の祖父、すなわち父の父は野球賭博絡みのトラブルで失踪。その男からは何度も「野球をやってるか」「頼む、野球をやってくれ」という手紙が届く。しかし、その手紙は彼の目の前でその男と野球を嫌悪する彼の母親の手によって破かれる。その男が野球をやめた1957年の日本シリーズで西鉄ライオンズが奇跡の大逆転で優勝し、彼が将来妻となる女性と出会った1986年日本シリーズで西武ライオンズが奇跡の大逆転で優勝した。
だから、なんなのだ? プロ野球の奇跡の大逆転が一体なんなんだろうか? そもそも、襖に向かって独白を続ける、その襖の向こうには彼の息子がいるのだろうか? 一緒にゴトーを待ち続けた彼女はいたのだろうか? いたとしても、彼の妻になっているのだろうか? 彼と母親を置いて出ていったその男は本当にいるのだろうか? この物語には、彼らの存在を確かにするものがひとつもない。
セリヌンティウスが待つメロス。ウラディミールとエストラゴンが待つゴトー。彼らが待つのものは、「奇跡」だ。そして、「奇跡」は「奇跡」を待つものの前には現れない。「奇跡」は待つものの意思や生活には関係なく現れるものだ。プロ野球の奇跡の大逆転のように。彼の目の前にある襖が開かれることもまた「奇跡」に違いない。その襖の向こうに彼の息子なるものが存在しているという確かなものはなにもないのだから。
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