『つながらない生活 ― 「ネット世間」との距離のとり方』(ウィリアム・パワーズ著) 「つながらない」ということは、勇気がいるかもしれないが、試す価値はあるかもしれない。
冒頭で、「巨大な部屋」の寓話が出てくる。私たちは巨大な部屋の中にいる。その部屋では、私たちは否応なく、「つながり」を求められるし、求めている。インターネットが普及し、メールやブログにくわえ、ツイッターやフェイスブックなど、私たちはネットで「つながった」生活はどんどん忙しくななっている。私たちが望もうが望まないが、いずれにしろ、私たちあてのメールは否応なく私たちに届く。ネットは常に「お薦め」の情報や商品を私たちに売り込もうと躍起になっているし、勝手に「あなたと嗜好が良くにているひと」「あなたと関係のあるひと」を探り当ててくれる。まったく余計なお世話なのだけれど、とにかく、私たちはネットにつながれて生活しているし、そのつながりを断ち切ることも日に日に難しくなってきている。
つながることは良いことなのだろうか? 私たちが求めることだけに答えを与えてくれるネットは、私たちに深く考えることを捨てさせるし、偶然に出会うかもしれない知との出会いのチャンスすら捨てさせる。社長が「やりましょう」とつぶやけば即実行しなければならない会社もあるそうだが、メールやツイッターなどは、私たちの思考や行動を受動的にさせるし、そういうものに追い立てられて、深く、じっくりと考えることができなくなってしまっている。常にパソコンのディスプレイを覗きこんでいるのが仕事をしているように見えて、パソコンのディスプレイを見ずに深くじっくりと考えていると仕事をしていないように思われかねない。
つながることは良いことなのだろうか? ギリシア時代から、新しいテクノロジが登場するたび、人類はそれとどう付き合うか、模索を余儀なくされる。この本ではプラトンに始まって、古今東西の賢人たちが新しいテクノロジとどう向き合ってきたかを紹介している。
一昔前はだらだらとテレビを観ているとバカになると言われたものだ。パソコンやスマートフォンをひっきりなしにいじっているのは賢く見えるだろうか。スマートフォンをいじりながら下を向いて歩いているひとの姿を観て、私は決してそれがスマートだとは思えない。
何か「目的」をもって「つながらない」ということは、勇気がいるかもしれないが、試す価値はあるかもしれない。
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