『経済成長神話の終わり 減成長と日本の希望』(アンドリュー・J・サター著) 今こそ、「経済成長」というチキンレースから降りる勇気を。
著者は、国際弁護士で立教大学法学部教授。ビジネスマンでも経済学者でもないが、それだけにこのテーマを語るのが面白い。
「経済成長」というものは、常に日本国政府の政策の最優先事項であり続けた。それは政権が自由民主党にあっても民主党にあっても変わらない。特に、東日本大震災後は、「日本復活のカギは新しい経済成長戦略にある」ということがさらに強調されるようになった。曰く、経済が成長しなければ、復興は成し遂げられない、年金制度の維持ができない、日本の国際的地位が維持できない、生活水準が維持できない、雇用が維持できない、社会的格差が是正できない、等々。経済成長しなければ、国民の生活が立ち行かなくなってしまう、という言説は、もはや国民にとって脅しのように聞こえる。
そもそも、なぜ国策の第一に「経済成長」が言われるようになったのか? それは、冷戦時代に、共産圏との争いに勝つためだった、ということがこの本では語られる。そして、経済成長の尺度とされるのがGDP(国内総生産)だけれども、これがなかなかの曲者である。日本のGDPの推移を見ても、2002年以降、日本は「経済成長していた」はずだ。しかし、経済成長は、私たちの生活に豊かさを実感できただろうか? 生活の糧を得るはずの雇用は抑制され、経済成長を支えるために企業は正規雇用を削減し、非正規雇用を増やし賃金を抑制してきた。
日本のGDPは世界で第二位だった。しかし、中国に抜かれ第三位になった。それに落胆したり焦ったりすべきだろうか? そもそも中国の人口は日本の10倍である。冷静に考えれば、そういう国に抜かれて、私たちの生活水準がそれで下がった、と言えるはずがない。
そもそも、GDPとは、日本国政府が自由に使えるお金ではない。100円のコーラを上手いこと騙して1000円で売ってもGDPは上昇する。そんなGDPが日本の国力を表すのだろうか。
もはや、みんなが冷蔵庫や洗濯機やテレビや自動車が欲しいと思っていた時代ではない。冷蔵庫や洗濯機はどの家庭にもあるだろうし、今やテレビよりも携帯電話を欲しがるし、いくら自動車メーカーが競ってエコを謳っても自動車に乗らないのが一番のエコだとみんなが気づいてしまった。イノベーションが新たな需要を創出するはずだ、という意見もあるだろう。アイフォンやアイパッドがイノベーションによりもたらされた需要かもしれない。しかし、アイフォンやアイパッドにもライフサイクルがある。アイフォンやアイパッドが売れなくなったら次のイノベーションを起こさなければならない。自転車操業である。そして、アイフォンやアイパッドは残念ながら、メイド・イン・ジャパンでは、ない。GDPを上向きにさせるためには騙して100円のコーラを1000円で売り続けるか、買い換え需要を常に喚起し続けるか、しかない。
著者は、「減成長」と言うが、「経済成長」という自転車操業レースから抜け出すことを提唱する。「経済成長」に代わる何かはまだ混沌として見えていない。「経済成長」というレースから降りることもまたリスクが伴う。そのリスクを冒してまで「減成長」に移行できるのか、そういう国民的な合意を形成するには様々な困難が伴うだろう。一部の富めるひとたちにとっては「経済成長」と唱え続けることが自分たちの利益になるからだ。著者ははっきりと、日本の政治がそれを阻害すると言っている。
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