『クラクラ日記』(坂口三千代著) 坂口安吾の作品に出てこない、ふたりで心中しに出かける話に、安吾らしさを感じた。
作家・坂口安吾の奥さんだった三千代夫人による、安吾との生活を綴った回想記。実はまだこの本を読んだことがなかった。
物語は三千代と安吾との出会いに始まる。しかし、蒲田の家で一緒に暮らし始めたものの、安吾は間もなく薬物中毒になり、生活が荒れ始める。全く迷惑千万でこういうひとは決して隣人に持ちたくはないが、しかし、三千代は逃げ出さずに安吾を支える覚悟を決める。
この物語でまず、心をつかんでくるのが、心中しに出かける話。薬物中毒で荒れ狂う安吾との生活に疲れ果てた三千代夫人は、安吾に誘われて心中に出かけるのだが、その道中で安吾が劇薬の百錠やそこらで死ぬものか、死んでまるか、とわめきちらし、おしっこをする姿を見て、このひとは稀にみる闘魂のかたまりで、最後の最後まで戦い抜くだろうと、安吾の強い生命力をあらためて思い知り、心中をやめて家にひきかえすエピソード。たぶん、この話は安吾の作品の中には出てこなかったはず。なんとも安吾らしいエピソードだ。死にに行く、と言っておきながら、死んでたまるかとひとりで奮闘している姿に、まさに生きていた安吾の姿を思い浮かべてしまう。
三千代夫人は安吾の『青鬼の褌を洗う女』のモチーフともなった女性で、安吾は生前、自分の作品の中で最も好きだったのは『青鬼の褌を洗う女』だと言っていたという。安吾は三千代夫人にこう言っている。「私くらいお前を愛してやれるものはいないよ。お前は今より人を愛することがあるかも知れないけど、今よりも愛されることはないよ。」しかし、安吾は三千代夫人に誰よりも愛されていたのだ。でなければ、安吾のようなハタ迷惑な人間が最後の最後まで戦い抜いく姿を見届けるものか。
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