『巡礼』(橋本治著) この老人の物語がすっぽり抜け落ちることで、この老人の物語が浮かび上がってくる。
小説家としての橋本治の仕事は、『桃尻娘』と『窯変源氏物語』くらいしか、いまいちピンと来なかったのだが、ひさびさに小説家としての橋本治の仕事に打ちのめされた。
近所にあるゴミ屋敷にテレビが取材にくる。周りの住民はこのゴミ屋敷をテレビがなんとかしてくれるんじゃないか、市役所や清掃局がなんとかしてくれるんじゃないか、と淡い期待を寄せる。しかし、ものごととはそんな上手くは進まない。ゴミ屋敷のゴミは増え続け、騒ぎだけが大きくなっていく。そんな中、ゴミ屋敷に暮らす老人・下山忠市だけが取り残されていく。
もし、近所にゴミ屋敷があったら、私たちはその住民と対話ができるだろうか。その住民にはその住民の思いがある。しかし、私たちはそれをわかろうとせず、迷惑だ、なんとかしろ、という自分たちにとって正しいと思っていることしか言えないのではないだろうか。それは拒絶の言葉でしかなく、相手は防御を固め、孤立を深め、なおさら頑なに聞く耳をふさぐだけだ。この物語で浮き彫りになるのは、そんな老人の姿である。
橋本治はこの老人の姿を一人称では語らない。語られるのは近所のおばあちゃんの目線であり、しかも、このおばあちゃんが見ているのは、この老人の母親である。そして、この母親がこの世を去って、ゴミ屋敷ができあがるまでの物語は、実はこの物語からすっぽりと抜け落ちている。この老人の物語がすっぽり抜け落ちることで、この老人の物語が浮かび上がってくるという、なんとも不思議な作りになっている。
ラストは救済の物語である。それは老人をゴミ屋敷から救いだすことではなく、この世からの救済である。もの悲しさだけが、この物語の最後に残る。
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