『小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ』(平川克美著) 「いま・ここ」にいる自分を愛し、そこから始めることが、より良く生きる、ということにつながる。
「小商い」というのはヒューマンスケール。「身の回りの人間的なちいさな問題を、自らの責任において引き受けることだけが、この苦境を乗り越える第一歩になる。」というのが、著者の主な主張である。
有史以来、奇跡とも言うべき高度経済成長を遂げた日本は、その成功体験が忘れられず、バブルが弾け、デフレと円高と少子化が進む今になっても、高度経済成長を再び、という夢を追いかけている。政府も経済界も、経済成長を前提とした経営モデルを思い描いているし、だから、消費税を上げるだとか、グローバル経済で勝つためにはTPPへの参加が不可欠だと言う。
しかし、もはや日本は高度経済成長を実現できる段階ではない。高度経済成長という異常事態が続いたことで、「老いる」ということを忘れた日本。まずは、日本は十分に「老い」に差し掛かっている、その現実を直視せよ、ということだろう。経済成長という夢を追うのではなく、自分の身の回りにいるひとたちに向けて、必要なものを提供する、それが、著者の言う「小商い」ということだろう。
私はそう言われてもなお、適度な経済成長は必要だという考えを捨てきれない。異常な経済成長は要らないが、それでも経済が成長しなければ、まず、雇用が失われる。私はこの十数年間で、自分の意思とは関係なく職場を失ったり、やむを得ず別の職場に移らなければならなかったひとたちを多く見てきた。もしかすると、すこしでも経済が好転していれば、彼らは職を失わなくても良かったのではないかという思いが残っているからだ。
一方で、現在の日本の状況で持続して経済成長を実現するにはあまりにも多くの課題があることも理解できる。しかし、だからと言って、経済成長を放棄する、もしくは立ち止まったり、ひと昔の生活に戻ろう、という議論にも違和感を感じる。「老い」というものを忘れて高度経済成長という長い坂道を走ってきた日本がぱたっと立ち止まるとどうなるのか。過労死だとか、突然死だとかいう、嫌な想像をしてしまう。
この本を読み進めると、著者の子供の頃の風景が出てくる。昭和30年代。三丁目の夕日の時代だ。その頃の街並み、商店街、小さな工場、小さな商店、ご近所つきあい、家族のだんらん。しかし、私は、こういう懐古を嫌悪する。「あの頃は良かった。」自分たちが子供だったころの世界をそう言うのは勝手だが、昭和30年代を時代に生まれてすらいなかった者にとっては、「ああそうですか、それは良かったでござんすね。」としか言いようがない。そういうものを羨ましがるのはなんだか負けた気分になって不愉快だからだ。(だから、昭和30年代を生きたことのないひとたちが、三丁目の夕日を見て涙するのが全く理解できない。)
この本も「あの頃に戻ろう」と言っているのかと思いきや、そう簡単ではない。「あの頃にはもう戻れない」と言っているのである。小泉今日子さんが、40歳になったとき周りから「人生折り返しだね」と言われて「ああなんだ、今まで歩いて来た道を戻れば良いのか」と思って気が楽になったという話をしていたのを聞いたことがあるのだが、「折り返し」というのは言葉のあやでしかなく、実は人生は前か上にしか歩いていけないようになっている。日本という国もそうである。「折り返し」などということはできない。ただできるのは「老い」とどう向き合っていくか、つきあっていくか、ということではないだろうか。
「あの頃にはもう戻れない」のであれば、どうすれば、良いのか。これまでのようにがむしゃらに心臓が止まるまで走り続けることももちろんできない。ただ、できることは「いま・ここ」にいる自分に責任を持つことである。「こんな社会に誰がした」と嘆き、年寄りをいじめても、現状は良くはできない。まず、自分が生きている「いま・ここ」にしっかり前を向いて立つこと。スマートフォンをいじって下ばかり向いていてはいけない。そして、周りを見渡すこと。そして、自分が必要とされていることがあれば、その仕事を引き受ける覚悟を持つこと、である。「いま・ここ」にいない自分を夢みるのではなく、「いま・ここ」にいる自分を愛し、そこから始めることが、より良く生きる、ということにつながるのだと思う。
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