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2012年2月25日 (土)

『「上から目線」の時代 』(冷泉彰彦著) 会話の「テンプレート」が成り立たたなくなったとき、ひとは「上から目線」を感じる。

『「関係の空気」 「場の空気」』の著者による日本語コミュニケーション論の第二弾。もはや共通認識が育まれなくなったひととひととの会話の中では、その会話の心地よさが感じられなくなり、一方的に見下されている、という上下関係が強調されてしまっている。もともと日本語の会話の中には上下関係があるのだが、これまではそれでもその妥協点を探りながら、会話が成立していた。そういう会話の中で妥協点を探る、という動きは、会話するひととひととの共通認識が育まれているうちは通常に機能していて、著者は、「テンプレート」という言葉を使っているが、それは定型的かもしれないが、それは潤滑油のように日本語の会話をぎくしゃくしないように進めることができていた。

しかし、今や会話するひととひととの間に共通認識を持つことが得られにくくなっている。会社という社会においても年功序列・終身雇用という制度が崩壊し、会社に対する忠誠心や仲間意識も薄れている。そういう環境では会話のテンプレートは成り立たない。テンプレートは、そこにそれが成り立つ空気がないと使えないのだが、今や、その空気はかもし出されない。あるのは、点と点を結ぶ線のみである。しかも、その線は片側だけ矢印(→)が付いている。そして、日本語の会話は上下関係があるので、その矢印は上から下へ、「上から目線」という居心地の悪さとなって現れる。

著者は特に2011年の震災直後のツイッターを「対等な会話」が成り立った例として上げている。しかし、私はこれには異論がある。震災直後のツイッターは確かに安否情報や「ヤシマ作戦」や「ウエシマ作戦」といった面ではその効力を発揮したが、一方で安易に明らかなデマがリツイートされまくられ、また心ない言葉でも誹謗中傷も多く見受けられた。140文字のつぶやきは時に上下関係を感じさせないフランクな会話を成り立たせることもあるが、言葉が断定化したり先鋭化しがちなため、「上から目線」以上に居心地の悪い、「呪い」の言葉になりかねない。

私たちはもう一度、「テンプレート」が成り立つ関係性を取り戻すべきなのか、それとも、「テンプレート」を捨てて対等な会話が成り立つような言語感覚を獲得すべきなのか、この本は私にそんな問題を提起しているようにも思えた。



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