『乱反射』(貫井徳郎著) 私たちのだれもが、身勝手、甘えを抱えて生きている。それが悲劇を生むこともある。
貫井徳郎という作家は、「悪意」を持った作家である。そして、私にとって最も読後感が悪い作家である。そういう作家の本は古本屋に売って、その作家の本を読まないのが私の読書スタイルなのだが、この貫井徳郎という作家に限ってはなかなかそうやって切り離せない、希有な作家である。それは、この作家が自分の中の「悪意」というものにじっと向き合って逃げ出さないからなのだろう。
地方都市に住む幼児が、倒れた街路樹の下敷きになって亡くなってしまう。何故、その子は亡くなったのか、新聞記者である父親はその真相を探ろうとするが、、、
その子を殺したのは、木の下の犬のフンが恐くてその木の健康診断をしなかった潔癖症の庭師なのか?そうでなかったら、木の下に犬のフンを掃除しなかった市役所職員なのか?そうでなかったら、木の下に犬にフンをさせて持ち帰らなかった犬の飼い主なのか?そうでなかったら、緑を守ろうとその木の健康診断を妨害した市民運動した主婦たちなのか?そうでなかったら、救急外来を受け入れなかった病院の担当医なのか?そうでなかったら、救急外来が受け入れられないようにした夜間外来に押し掛ける患者たちなのか?そうでなかったら、救急車を巻き込んだ渋滞の元を作った女性ドライバーなのか?
「ちょっとくらい大丈夫だろう。」「自分だけじゃないから大丈夫だろう。」「自分はこれまで頑張ってきたのだからこれくらい許されるだろう。」そんな身勝手がつもり積もって、幼い命を奪ってしまう。被害者が2歳児というあたり、この作家の悪意を強く感じる。だからこそ、私たちのこの物語は胸を突く。それは、私たちのだれもが、そういう身勝手、甘えを抱えて生きているからだ。
そして、現代人は自分の落ち度を突かれると、どうしてそういうことを言われなくてはならないのかと激昂するか、自分のせいではないと自分に言い聞かせて沈黙するか、のどちらかだ。いずれにしろ、自分の責任が問われるのが恐ろしいのだ。そういう責任というものを負いたくはないのだ。それはそうだろう。でも、責任を引き受けない生き方が楽しいのか、立派なのかどうかは別問題だ。「晩節を汚す」という言葉をこの物語で久々に聞いて、私ははっとさせられた。
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