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2011年12月13日 (火)

『減速思考 デジタル時代を賢く生き抜く知恵』(リチャード・ワトソン著) まずは、歩きながらケータイをいじるのをやめ、ゆったりとする時間を持つことを考えよう。

私たちはデジタル時代の恩恵で、様々な便利なものを手にしている。情報は速く手に入るようになり、情報はまたたくまに広広がっていく。そして、私たちは、それに追いたてられるかのように思考することを余儀なくされている。

私が家に帰ってまずすることは、電灯をつけて、次にするのはテレビをつけることでも、冷暖房機のスイッチを入れることでもなく、パソコンを立ち上げることだ。何をしようというわけではない。私はほぼ毎日ブログの更新をしている。映画や演劇やコンサートを観に行ったときはその日に記事を描いているが、実は、こういう書評などは予め記事を準備してあるのでアップするだけ。何の気なしにツイッターの画面を立ち上げる。何の情報がほしいとかいうわけでもない。これも一種の中毒だと言える。

通勤時。私の天敵はスマートフォンをいじりながら歩いているひとである。彼らは軒並み、歩くのが遅い。しかも画面をいじっていて周りに対する注意が散漫であり、アクションが遅い。周りのひとたちは彼らに気を使い歩かざるを得ない。そうやって周りに小さな迷惑をかけながら彼らが今まさに得たい情報とは何だろう。どこかの電信事業会社のように、社長のやりましょう、というつぶやきを即時に実行しなければならないひとたち以外に、今まさに得なければならない情報など、私にはないように思える。それなのに、彼らは、情報を追い続けている。

面白い実験があった。歩きながらケータイでメールを打つのと、歩く前にケータイでメールを打って歩くのと、どっちが速く、安全に目的地につけるのか、というものだ。想像がつくと思うが、歩く前にケータイでメールを打って歩いた方が、速く、安全に目的地につける。歩きながらケータイをいじるのは、効率的で何かしている気にはなるかもしれないが、ゼンゼン効率的ではないのだ。

デジタル時代。私たちは効率を求め続けているが、実はその求めているものは効率的でもなく、思考は速くなっているかもしれないが、何かをやっている・何かを考えているつもりになっているだけで、思考は浅くなっているのではないか。私たちはいまさらデジタル機器を捨て去ることはできないが、まやかしの効率を追い求めるのはやめにした方が良い。まずは、歩きながらケータイをいじるのをやめ、ゆったりとする時間を持つことを考えよう。

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