『モダンタイムス(上)』 (伊坂幸太郎著) 国家は時にシステム全体を存続させるために、個に犠牲を強いることがある。そのとき、個はいかに全体の犠牲にならずに生き延びていくことができるのか
単行本のときには、「検索から、監視が始まる。」というコピーが帯に着いていた。ひとはわからないことがあると何をするか?一昔前なら辞書をひいたり、本を読んだり、ひとに聞いたりしただろうが、今やそれは、ネットで検索する、である。例えば、「トレンチャ」「マイケル」という検索ワードでググれば、ざっくばらん坊のブログが真っ先に出てくる。それが有用な情報かどうかは別として、ひとが何に興味を持っているか、は検索ワードを辿ればわかるし、そしてそれができるのだから、それを監視したり悪用することだってできる。
システムエンジニア・渡辺拓海は恐妻家、というより、常に彼の浮気を疑う妻に監視され、その妻に派遣された拷問屋に拷問を受ける始末。彼が請け負った仕事は、ある出会い系サイトの仕様変更。簡単な仕事と思われたが、プログラムには不明な点が多い。そのプログラムの解析が進むにつれ、彼は恐ろしい世界の扉の前に立っていることに気付かされる。ある特定のキーワードでネットを検索したとき、そのひとに相応しい不幸が襲う。何故、誰が、何のために。
国家とは巨大なシステムである。だが、そのシステムは巨大すぎて、当初の仕様書が残っているわけでもなく、仕様変更があっても仕様変更書が残っているわけでもなく、いろいろなひとが、いろいろな時期に、いろいろな事情でそのシステムを改変していっている。ゆえに、その全体像を把握している者は誰もいない、というトンデモナイ状態になっているシステムである。国家は理路整然として、静的で、特定の誰かがコントロールしているシステムでは決してない。もはや独裁者はいないのである。
しかし、国家というシステムは、システム全体として機能している。そうでなければ国家は国家として存続できない。そして、国家は時にシステム全体を存続させるために、個に犠牲を強いることがある。そのとき、個はいかに全体の犠牲にならずに生き延びていくことができるのか。
この作品は、かの『ゴールデンスランバー』と同時期に書かれた作品だそうだ。『ゴールデンスランバー』のアナサーバージョンとも言えなくもない。
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