『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』(池上彰著) 生き物はすべて「致死率100%」。これは誰もが逃れられない。だから、むしろあまり「死」を意識しないのが良いかもしれない
以前、池上さんのテレビ番組で、アメリカがいかに宗教国家か、という現地レポートをしていたのが興味深かった。アメリカ大統領は、聖書に手を置いて宣誓する。アメリカ大統領になるためには、神を信じるひとの支持をいかに獲得するか、ということが求められる。聖書に書いてあることは一言一句すべて真実で、ゆえに進化論を支持せず、太古には恐竜と人間が同時代に生息していた、と本気で信じているアメリカ人がかなりいる。アメリカ=新世界=現実主義・物質主義という私たちのイメージとは違ったアメリカ人像が驚きだった。
日本の総理大臣は天皇陛下から認証されるが、総理大臣がどの宗教を信心しているかは問われない。現代の日本では局地的には宗教対立はあるかもしれないが、それが原因でひとが殺しあうということは考えられない。(カルト教団がテロを実行したが、これは一方的な殺人であり、その報復でカルト教団に対立する側がカルト教団の人間を殺す、ということは起こり得なかった。)だからといって、日本人は「無宗教」なのか。日本人は面倒くさいからつい自分は無宗教だと答えてしまうが、七五三にはお宮参りをし、教会で結婚式を挙げ、葬式のときはお坊さんにお経をあげてもらう、実は日本人ほどその生活に宗教が入り込んでいて、それを自然と受け入れるし、他人の信心にはあまり口を挟まない。日本人ほど宗教に寛大な民族もいないのではないか。
団塊の世代が死を迎える年代になり、震災のような無常に多くのひとびとが亡くなってしまうのを目の当たりにしながら、死を考える=宗教にすがる、という傾向が確かにあるかもしれない。また、若者の間でも「パワースポット」巡りはブームである。どこか敬虔な気持ちになれる場所を若者でも求めているのかもしれない。それだけに宗教の果たす役割、というものも大きくなっているのだろう。
養老孟司さんが言うとおり、ひとは「致死率100%」である。生き物はすべて「致死率100%」。これは誰もが逃れられない。だから、むしろあまり「死」を意識しないのが良いかもしれない。そういう境地に至ることを「悟り」を開く、というのかもしれないが。。。
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