『美男へのレッスンI 』(橋本治著) まったく、橋本治はブオトコには容赦がない
「美人(美女)とは」という問題提起をする本は多いが、「美男とは」という問題提起をするのは、恐らく日本では橋本治ぐらいだろう。そもそも橋本治という作家は、女には不思議はない、男というものはなんだか得体の知れないもの、という作品をヘーキで書いてしまう作家なのだから。
オリエンテーションの章で、橋本治が語るのは、
「男達の圧倒的多数がそんなに美男でもないし醜男でもない」という状況にありながら、男のカテゴリーには「美男」と「醜男」の二つしかない。つまり、美男でも醜男でもない”フツーの男”というものは存在しない。いるのは、”フツーの男”を自称する醜男だけ、というなんとも身も蓋もない、しかし、身につまされる一撃である。こういう耳の痛いことを橋本治はヘーキで言う。
美男論は、『パリで一緒に』という映画から始まる。この映画で出てくる美男(トニー・カーティス)と、若い娘(オードリー・ヘップバーン)をはさんで対抗する中年のオッサン(ウィリアム・ホールデン)。この中年のオッサンは現実の自分の姿を見ようとせずに、自分がいかに美男より優っているか、を若い娘にアピールするのだが、
橋本治によると、近代というのは、基本的人権だとか平等といった「理想」というものをもとに実現された時代だと言う。そうやって作られた時代では、ひとから「顔」がなくなる。つまりは現実の自分の姿を見ようとせず、理想の自分というものを夢想する。橋本治はそういうひとをブオトコと呼ぶ。
まったく、橋本治はブオトコには容赦がない。
![]() | ![]() | 美男へのレッスンⅠ (中公文庫)
著者:橋本 治 |
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