« 『GOSICKsIV‐ゴシックエス・冬のサクリファイス‐』(桜庭一樹著) 神は人間というチェスの駒に、戦え、と命令する。その嵐がヴィクトリカと一弥を巻き込もうとしている | トップページ | 映画『東京公園』 小路幸也の作品は、映像化しやすそうで、実のところは結構難しい »

2011年6月18日 (土)

『美男へのレッスンI 』(橋本治著) まったく、橋本治はブオトコには容赦がない

「美人(美女)とは」という問題提起をする本は多いが、「美男とは」という問題提起をするのは、恐らく日本では橋本治ぐらいだろう。そもそも橋本治という作家は、女には不思議はない、男というものはなんだか得体の知れないもの、という作品をヘーキで書いてしまう作家なのだから。

オリエンテーションの章で、橋本治が語るのは、
「男達の圧倒的多数がそんなに美男でもないし醜男でもない」という状況にありながら、男のカテゴリーには「美男」と「醜男」の二つしかない。つまり、美男でも醜男でもない”フツーの男”というものは存在しない。いるのは、”フツーの男”を自称する醜男だけ、というなんとも身も蓋もない、しかし、身につまされる一撃である。こういう耳の痛いことを橋本治はヘーキで言う。

美男論は、『パリで一緒に』という映画から始まる。この映画で出てくる美男(トニー・カーティス)と、若い娘(オードリー・ヘップバーン)をはさんで対抗する中年のオッサン(ウィリアム・ホールデン)。この中年のオッサンは現実の自分の姿を見ようとせずに、自分がいかに美男より優っているか、を若い娘にアピールするのだが、

橋本治によると、近代というのは、基本的人権だとか平等といった「理想」というものをもとに実現された時代だと言う。そうやって作られた時代では、ひとから「顔」がなくなる。つまりは現実の自分の姿を見ようとせず、理想の自分というものを夢想する。橋本治はそういうひとをブオトコと呼ぶ。

まったく、橋本治はブオトコには容赦がない。

美男へのレッスンⅠ (中公文庫)Book美男へのレッスンⅠ (中公文庫)

著者:橋本 治
販売元:中央公論新社
発売日:2011/05/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

« 『GOSICKsIV‐ゴシックエス・冬のサクリファイス‐』(桜庭一樹著) 神は人間というチェスの駒に、戦え、と命令する。その嵐がヴィクトリカと一弥を巻き込もうとしている | トップページ | 映画『東京公園』 小路幸也の作品は、映像化しやすそうで、実のところは結構難しい »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

フォト

他のアカウント

2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

気になる、気になる

  • ざっくばらん坊 on twitter
  • amazon
  • blogram
  • 人気ブログランキング
無料ブログはココログ