『フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)』(デビッド・カークパトリック著) 果たしてみんなが実名でつながりあえるネット社会は訪れるのだろうか
今年観た映画、『ソーシャル・ネットワーク』はマーク・ザッカーバーグが、フェイスブックというアイディアを思いつき、フェイスブックが大きくなればなるほど彼の周りのひとびととの軋轢を生み、ついに彼の周りにはフェイスブックという怪物しか残らなかった、という淋しい映画だった。映画が、マーク・ザッカーバーグやフェイスブックにやや否定的な視点であったのに対し、本書は、フェイスブックがどのようにして生まれ、爆発的に大きくなっていったか、そしてその過程において、マーク・ザッカーバーグがどのように行動していったか、が生々しく描かれている。創世期から、ユーザの熱狂的な支持を受けて、あれよあれよという間にフェイスブックが大きくなっていくところなど、世の中、何が流行るのか、予測がつかないなあ、と思わされる。
マーク・ザッカーバーグには、信念があって、それは、一貫して「会社を売らない」である。自分が思いついた素晴らしいアイディアを誰の手にも渡したくない、自分が自分が思いついたアイディアを広げ、大きくしていくのだ、という信念である。創業者として早いうちに会社を手放して大金を得る、という考えは彼の中には全くない。どうして、こんな楽しいことを手放そうなんて思えるんだい、という彼の声が聞こえてきそうである。
チュニジアやエジプトで起きた政変の原動力となったとも言われるフェイスブックであるが、今や5億人規模というのだから、これは想像をはるかに超えた「社会」である。人数だけで言うと、日本の人口の4倍以上、インドや中国ともひけをとらない。そして、その原則は「実名」である。よく、ネットと実社会では、匿名と実名を使い分けることが多いが、マーク・ザッカーバーグは「透明性」と言っているようだが、1つのアイデンティティしか認めない、という方向のようだ。
よく匿名性は無責任な言動につながる、と言われるが、確かに、匿名性を良いことにネットで心ない言動をする者もいると思う。しかし、すべて実名にせよ、と言われても、私はまだ慎重にならざるをえない。フェイスブックは、自分が出した情報であれば、みんなにバレても良いでしょう、という考えのようだが、ソーシャルネットワークとは言え、不特定多数のひとの目に晒されるものなので、どうしても見せたくない情報もあるだろう。
ネットを使ってビジネスをしたい、自分を売り込みたい、というひとは実名で良いだろうが、私のような無名の会社員にとっては、実名というもののメリットを感じない。むしろ、プライバシーを守りたい。実名にすることによって考えられる様々なデメリットを考えると、実名にすることにはためらいを感じる。
そういう懸念が払しょくできないので、私はまだフェイスブックの5億人の輪の中には入っていない。
とは言え、ソシャルネットワークなどによる「つながり」は、これからももっと広く、深く、強くなっていくだろう。まだまだ時間はかかるだろうが、やがては、実名でも安全なネット社会というものも実現できるかもしれない。
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著者:デビッド・カークパトリック |
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