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2011年3月 8日 (火)

『本当は危ない「論語」』(加藤徹著) 「論語」は読み方ひとつでガラっとその姿を変える

最近は、人生訓として読まれることも多い「論語」。この本のタイトルには、その「論語」の前に「本当は危ない」という文句がついている。「論語」には素晴らしい言葉や思想で満ち溢れている、という読み方に釘を刺す、というのがこの本の主題かと思って読んでみた。

著者は「論語」は劇薬だとも麻薬だとも言う。「論語」の危うさを知らずに迂闊に手を出すと依存症や中毒症を起こす、と言うのだ。今の時代、いちいち「論語」の言葉を引いて訓示したり説教したりするオヤジはいないだろうが、年賀状に中国古典の言葉をひとこと添えたがる愚か者(私のことです)もいる。

私は、そもそも中国古典が嫌いだった。何故かと言うと、「説教じみている」。ご立派なことを言い立てて、「自分はエライ、お前はまだまだダメだ」と言われているような気がしたからだ。例えば、有名なこの言葉。

子曰、「吾十有五而志于学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩」。

(子曰く「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳耳したがう。七十にして心の欲するところに従いて、矩(のり)をこえず。」)

私は15歳のときに学問を志さなかったし、30歳のときに而立したとも言い難いし、今でも惑いっぱなしだし、そのうち天命を知るとは到底思えない。孔子からすれば、ダメ人間であろう。

しかし、こういう読み方もできる。

(孔子の言葉。私は14歳まで学に志さなかった。29歳まで而立することができなかった。39歳まで惑いっぱなしだった。49歳まで天命を知らなかった。59歳までひとの言うことに素直に耳を傾けることができなかった。69歳までやりたいことの加減がわからなかった。)

このように、「論語」は読み方ひとつでガラっとその姿を変える。

徳川幕府は、その体制維持のために、主君には忠義をつくせ、親には孝をつくせ、目上のひとには礼をつくせ、という思想を強化するために「論語」を学問として学ばせた。しかし、同じ論語は幕末では、尊王攘夷、そして倒幕の思想的なバックボーンとして働いた。この本では触れていないが、それは、「お国のため」「天皇陛下のため」というように、この国を戦争に駆り立て、多くの国民を死に追いやったとも言える。まさに、「論語」は国を滅ぼしかねない劇薬である。

こういう劇薬とどう付き合えば良いのか。そういうものは手の届かないところにほっておく、決して手を出さない、というのもひとつのテだろう。それでも「論語」を読むときは、結局は、自分にとって「都合のよい」読み方がされてしまうのであれば、「話半分」で読むことが、「論語」とつきあう良い方法だろう。

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