『シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略』(レイチェル・ボッツマン、ルー・ロジャース著) 『シェア』という新しい流れがメインストリームになるかどうか、そのカギは「信頼」である
3月11日。あの日、私は都心から多摩川を渡り、自宅まで歩いて帰った。4時間半の行程は、都心から郊外に移動する車の渋滞をずっと横目に見ながらのものだった。ほとんどが、マイカーである。そして、ほとんどのマイカーには、運転手以外は誰も乗っていなかった。ひとりしか乗っていないマイカー。その横では、ひとびとが行列を作って家路を歩いている。マイカーというものは、個人の利便性を追求したもので、公共の利便性に向くものではない。
あの地震の後、ひとびとは買占めに走った。スーパーやコンビニから品物がなくなった。まさに食品棚が空っぽになった。例えばトイレットペーパー。トイレットペーパーは1パック12個入りのものが多い。それを例えばひとり暮らしのひとが1パック買ったら、数か月は押し入れの中で眠ることになる。一方で、まさにトイレットペーパーがなくなりそうであせっているひともいる。ネットで共同購入で安く商品を手に入れたり食事をできたりするが、こういう物資が足りていないときこそ、共同購入だとか、使えないものだろうか。
長い前ふりになったが、この『シェア』である。この本は、『シェア』という新しい流れができる前の状態を「ハイパー消費社会」と呼ぶ。より多くのものを買ってもらう、そのために商品の寿命を短くしたり、モデルチェンジやバージョンアップを繰り返すことで消費を喚起し、もっと多くのものを買わせよう、という流れがあった。(私見だが、マイクロソフトもアップルも実はそういう戦略だ。OSの無用なバージョンアップやアイポッド、アイフォンのバージョンアップの早さには、より新しいものを、という”古い”流れのものだ。)
そのハイパー消費社会が行き詰まりを見せ、それに替わる流れが、「私のものはあなたのもの」という流れだ。(「お前のものは俺のもの」はドラえもんのジャイアンの名台詞だが、シェアという動きの一方で、勝った者が総取りする、「独り占め」する、という動きもまだまだ健在である。)
「私のものはあなたのもの」という気前のよい社会が実現するために必要なのは、「信頼」である。シェアするためには、シェアする相手を信頼していないと、できない。3/11にひとりマイカーに乗って帰宅しようとしたひとは、歩いて帰るひとびとを横目に観ながらも、信頼できるひとでないとその助手席や後部座席には乗せなかったのだろうし、大量のトイレットペーパーやミネラルウォーターを買い占めたひとは、まずそれを「自分のもの」として確保していないと不安だったからだろう。
また、ツイッターでは3/11の直後はRT(リツイート)の嵐だった。みんなが誰かのために何かしたい、という思いだったのだろうが、中にはこれは明らかにデマだろう、というリツイートもまさに垂れ流されている状況だった。リツイートというのは、その情報を発信もしくは流すひとを「信頼」していないとできない、というか、してはいけない。
確かに、『シェア』という流れは、これからの大きな潮流になるだろう。しかし、それが成り立つ前提条件は、「信頼」である。「信頼」なくしてシェアという流れはなかなか生まれないだろう。この本では、その「信頼」が安易に達成できるもののように捉えている感あるが、「信頼」というものこそ、なかなか得られないものである。
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著者:レイチェル・ボッツマン,ルー・ロジャース |
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