『武士道セブンティーン』(誉田哲也著) 映画化する際には、是非ともレナ役は武井咲にお願いしたい
誉田哲也の警察モノは『ストロベリーナイト』を読んだっきりはまらなかったが、この全作『武士道シックスティーン』は面白かった。映画化されたときは、香織=成海璃子、早苗=北乃きいという納得のキャスティングで、これも面白かった。
この物語は、福岡に転校していった早苗と香織が、それぞれの場所で、それぞれに「武士道」を歩んでいく物語である。
香織は、自分の属する組織のため、後輩の育成を意識するようになり、福岡に転校した早苗は”スポーツ”化した剣道に戸惑う。この物語が進むにつれ、ふたりは、それぞれの「武士道」を見つけて実践していくようになる。
「武者」と「武士」の違いを香織の父が語るところが秀逸。そしてそれを身を呈して実践してみせた父の姿を観て、香織は成長していく。「強さこそ力」と信じていた香織がシックスティーンでその呪縛から脱し、相手を倒す剣道から戦いを収める剣道へと進んでいく。
一方の早苗は、スポーツライクな剣道に戸惑う。「スポーツ」と「武道」は何が違うのか。それは、自分を律するものを自分の外におくのか、内におくのか、によって決まる。「スポーツ」は自分の外にルールがあり、それにしたがって、「勝つ」ことを目的とする。審判の目の届くときには、ルールは厳格なように思えるが、裏返せば、審判の目の届かない(ルールが適用されない)ときは、ルールを破っても良い、ということである。そして、自分に不利なルールは書き換えても良い、ということにつながる。国際大会で日本人が活躍するたびに、日本人に不利なルールができあがるのは、つまりはそういうことだ。
「武道」というものは、自分を律するものを自分の内に持つ、ということだ。やもすれば人を傷つけ、下手をすれば人を殺してしまうかもしれない「武道」というものは、ルールの中でなら何をやっても良い、ルールが適用されなければ何をやっても良い、とにかく勝てばよい、というものではないのだ。
勝つことは大切だが、勝つことがすべてではない。自分が納得できれば、勝っても、負けても、自分を成長させることができる。次は、「エイティーン」だ。
![]() | ![]() | 武士道セブンティーン (文春文庫)
著者:誉田 哲也 |
ところで、もし『武士道セブンティーン』を映画化する際には、是非ともレナ役は武井咲にお願いしたい。(未だに私は「咲」を「えみ」とどうしても読めないが。)
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