『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』(若宮健著) パチンコに使うお金と時間を別のことに使えば、日本はもっと豊かになる、と真剣に思う
休日の朝早く、パチンコ店の前には長蛇の行列ができている。休みの日に早起きするのだったら、どこかにお出かけすれば良いんじゃないか、と思うのだが、それでもパチンコに賭けるひとがなんとも多い。
私はパチンコをやったことがない。パチンコの玉を買ったことがないし、だから、パチンコで何をどうすれば当りなのか、実は全くわからない。でも、休日の朝にパチンコ店の前にできている長蛇の列を見る度に、このひとたちはせっかくの休みの日に他にすることはないのかなあ、と思ったりもする。まあ、私も映画を観ているか、街ブラしているか、引きこもりしているか、なので、偉そうなことは言えないけど。
テレビや新聞など、パチンコ業界の広告がやたらと多い。広告が多い=儲かっている=オイシイ商売、という図式は誰だってわかるだろう。オイシイ商売、ということは、それだけ安易にお金を落としてくれるお客様がいる、ということだ。それをカモと呼ぶ。
冷静に考えれば、パチンコで勝てるはずがない。まず、こういうギャンブルは胴元の取り分がある。宝くじなら40%、競馬なら25%が胴元の取り分。つまり、宝くじを買った時点で、その券は40%目減りしているし、馬券を買った時点で25%目減りしている。つまりギャンブルはマイナススタートなのだ。パチンコ業界が胴元の取り分としていくらとっているか、正確にはわからないが、玉を買った時点でマイナスからスタートである。素人が勝てるはずがない。
しかも、パチンコ台は電子機器である。つまり、簡単に”操作”が可能なのだ。よく時代劇で壺振りのイカサマが出てくるが、そういうアナログな手段ではなく、胴元はデジタルにイカサマができるのである。すべてのお店がそういうことをしているかどうかは知らないが、そういうことは可能なのだ。そういう仕組みの中でどう足掻いても勝てるわけがない。
なのに、ひとはパチンコ店に向かうのか。この本の言葉を借りれば、「パチンコ依存症」なのかもしれない。中毒性のある習慣になっている、と言っても良いだろう。ズルズルと続けてしまう、やめられない、というそういう習慣は私たちの生活に悪い影響を与える。
前置きが長くなったが、本書のタイトルは、『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』である。そして、そのウラは、『なぜ日本は、パチンコを全廃できないのか(容認しているのか)』である。私は韓国でパチンコが大ブームになり、それが社会的問題になって、またたくまに全廃された、という事実を知らなかった。著者の言葉を借りれば、パチンコ業界から多額の広告費をもらっている日本のマスコミがそういう事実を報道しなかった(できない)から、ということになる。
著者の言葉を借りると、パチンコするお金欲しさに犯罪が発生しても、パチンコで多額の借金を抱えて自殺者が増えても、政治家が問題視しないのは、パチンコ業界から多額の政治献金をもらっているからだし、警察からパチンコ業界への天下りによってパチンコ業界は保護されている、ということになる。
かってパチンコは息抜き的な嗜好だったと思う。パチンコで勝つのも負けるのもささやかなもので、たまに買って子どもにお菓子や景品をお土産にする、そういう時代の頃は良かったと思うが、1時間で何万円使った、1日で何十万円も負けた、という話を聞くと、なんだか虚しくなる。パチンコに使うお金と時間を別のことに使えば、日本はもっと豊かになる、と真剣に思う。
![]() | ![]() | なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか(祥伝社新書226)
著者:若宮 健 |
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