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2011年1月10日 (月)

『選択の科学』(シーナ・アイエンガー著) 人生は選択の連続であるが、選択ほど難しいものはない

著者のアイエンガー・シーナは、コロンビア大学ビジネススクール教授。両親は、インドのデリーからの移民で、シーク教徒。3歳の時、眼の疾患を診断され、高校にあがるころには全盲になる。私はインド人の宗教や生活習慣については疎いのだが、シーク教徒は厳格な戒律の中で生活するのだそうだ。着るものから結婚相手まで生活のあらゆる局面で、自分で選ぶのではなく、彼らが属するコミュニティが決めるのだそうだ。
そして、全盲になった彼女は、アメリカ的な生き方は自由、選択することこそが生きること、という教育を受けてきた。
まさに、その生い立ちから、”選択”というものを研究するのが彼女にとって最大の選択だったであろうことがわかる。

「選択は本能である」
満ち足りた環境を与えられたはずの動物園の動物たちよりも野生の動物の方が長生きし、重大な選択を迫られる場面の多い社長の方が一般従業員よりも長生きする。それは、選択の自由度が大きいからだ。「自分にはどうにもならない」と思うよりも「自分でなんとかできる」と思える方が長生きできる、というわけだ。

「集団のためか、個人のためか」
個人主義と集団主義。ひとが自分の人生に対しどの程度の選択権をもっているかは、そのひとの暮らす環境に大きく左右される。アメリカのようになんでもかんでも自分で決めて生きるのが良いのか、自分の属する集団の中で自分がどのように振る舞えばよいのかを考えながら生きるのがよいのか、一概には言えない。

「『強制』された選択」
ひとは自分は他人とは違った存在であり、その他大勢として観られたくないと思う。一方で、あまり周りから浮いた存在として観られたくないとも思う。つまりは、自分で選んでいるつもりでも、そこには他人の目というものを意識して選んでいる、ということだ。

「選択を左右するもの」
ひとは一時的な感情や衝動によって、将来の、いや目先の利益を犠牲にしてしまうことがある。

「選択は創られる」
流行はファッション業界によって創られるし、投票行動は候補者の見た目で左右される。自分で選んでいるつもりでも、巧みに選択を誘導されていることもある。

「豊富な選択肢は必ずしも利益にならない」
有名なジャムの実験。24種類のジャムを店頭に並べるよりも、6種類のジャムを並べた方が売上が伸びる。ひとは選択肢が多すぎると、そこであれこれ考えすぎたり、思考停止してしまう。

「選択の代償」
病気のわが子の延命処置をすべきか、延命装置をとめるべきか、というような重い選択を強いられるとき、自分で選ぶということがベストなのだろうか。選択を委ねて運命と割り切った方が良いだろうか。

「選択と偶然と運命の三元連立方程式」
生きるということは選択の連続である。しかし、選択ほど難しいものはない。しかし、例えどんな選択をしようとも、人生は無意味であるはずはない。

選択の科学Book選択の科学

著者:シーナ・アイエンガー
販売元:文藝春秋
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