『現代語訳 学問のすすめ 』(福沢諭吉著) ”平等”と”独立”というものの有難さと意義をもう一度見直したい
慶応義塾の祖というよりは、だんぜん1万円札の顔として誰もが知っている福沢諭吉。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という有名な一文から始まるのが、この『学問のすすめ』。
明治維新が成り、江戸時代の士農工商の身分制度が廃され、日本に”平等”というものが訪れたのだが、日本人がこの”平等”というものをどう理解すれば良いのか、まだ戸惑いがあった時代に書かれたのだと思う。
今や”平等”とは自明のものであるかのようだ。私たちは当たり前のものになると、その有難さや意義を見失いがちになるものだが、もう一度、”平等”というものを見直すために、読んでみるのも良いだろう。
例えば、アメリカは、アメリカン・ドリームという言葉に象徴されるように、身分や出身や肌の色を問わず、万民に”平等”にチャンスがあるかのように思われるが、実際には根強い差別があるし、親の資産が子どもの教育水準を決め、より良い教育を受けるとチャンスをつかみやすい、という現実がある。親がお金持ちでない子どもはよい教育が受けられず、各社社会の底辺から抜け出せない。それはアメリカだけでなく、世界中がそうなっている。
そして、アメリカは、かってよく”フェア”という言葉が良く言われていた。それは、例えば、しょうがい者の方でも普通と同じように生活できるバリアフリーだとか、そういう理想こそ”フェア”と言ったはずなのだけれど、今や”フェア”というのは、「あいつだけ儲けてズルイ」「俺だけ損しているのはオカシイ」という意味でつかわれる。”フェア”という言葉の視点は社会にあるはずなのだけれど、今やその視点は自分になっている。自分の損得が”フェア”の基準になっている。そして、それはアメリカだけではなく、世界中がぞうなっている。
諭吉先生は、もうひとつ、”独立”ということについて述べられている。日本という国が”独立”するためには、国民ひとりひとりが”独立”しなければならない、と諭吉先生は言う。国民ひとりひとりが独立しなければ、愛国心も生まれない。他国との付き合いにおいても自分の権利を主張できない。そして、責任を他者に押し付けがちでしたがって、正しい行いができない。
この『学問のすすめ』が世に出たのは1872年のことだが、いまだに日本という国は”独立”をしていないかのように思える。それはとりもなおさず、日本人が”独立”できていないからではなかろうか。先の世界大戦に負けた後遺症が未だに残っているのか、そもそも日本人のメンタリティの問題なのか判らないが、明治という新しい時代、”平等”というものがもたらされた時代に、諭吉先生は、「日本人よ、独立せよ」と訴えられた。
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著者:福沢 諭吉 |
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