『ダメ情報の見分けかた―メディアと幸福につきあうために』(荻上 チキ、飯田 泰之、鈴木 謙介著) メディアで騙されるのを防ぐのは無理でも、騙す側に加担しないようにしたい
”メディア・リテラシー”という言葉は最近よく聞かれるが、”リテラシー”って、何?という読者も多いだろう。こういうカタカナにはご用心である。”リテラシー”というのはその言葉通りだと、識字、読み書きができる能力だ。読み書きができる=基本的なことを身につけている、ということにつながる。
そして、最近は、この”メディア・リテラシー”という言葉は、「デマや流言に惑わされない、騙されない」「ケータイやネット依存症にならない」「ケータイやネットでサギにあわない」「有害な情報から子どもを守る」「偏った報道に踊らされない」といった意味合いで使われることが多い。
しかし、この本は、ちょっと違った角度から、”メディア・リテラシー”を捉えようとしている。
まず、「騙されない」から「騙さない」「騙す側に加担しない」へ。ネットは双方向のメディアなので、ネットの利用者が常に被害者になるとは限らない。ネットで飛び交うデマや流言を広げることに加担することもありえるし、また、自分がその発信源にもなりうる、ということを肝に銘じなければならない。「知らなかった」「私も騙された」という自分だけイノセント、というのはズルである。
そうならないためには、情報を”仕分け”る能力、怪しい情報は怪しいぞ、と見分ける能力、そして、自分で情報を検証できる能力がこれからより求められる。
ツイッターなどで、「拡散希望」とか「RT希望」とかが氾濫しているが、何の気なしにRTしてしまうと、デマや流言やネット犯罪のお手伝いをしてしまうかもしれない。気をつけないものだ。
続いて、何故、”メディア・リテラシー”という言葉が喧伝されている割には世の中に浸透しないのか、身に付かないのか、が話題に上がる。とどのつまり、それを身につけるだけの費用対効果が期待できない、経済的な”動機付け”がないからだ、と言う。なんだか、納得した。
それでも、ダメ情報を捨てるためには、
「無内容な内容を見抜く」。私見だが、夜の9時台や10時台のニュース番組のキャスターのコメントがこれにあたる。
「定義が明確でない話を見抜く」。”本当の”とか”真の”とかいう言葉は信じないにこしたことはない。
「データで簡単に否定される話を捨てる」。ニュースを見ていると、犯罪や交通事故や火事のニュースが多いように思えるが、犯罪や交通事故や火事が増えているわけではない。
最後はメディアと政治の話なのだが、何が言いたいのか、よく判りませんでした。
ダメ情報の見分けかた―メディアと幸福につきあうために (生活人新書 334)
著者:荻上 チキ,飯田 泰之,鈴木 謙介 |
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