『クロスファイア(上)』(宮部みゆき著) 凶悪犯罪に対して、果たして”装てんされた銃”は必要なのだろうか
私の中では、宮部みゆき作品の中でベスト3に入る作品。10年ぶりくらいに再読した。
この作品に登場する”念力放火能力”という特殊な能力をもった女性、青木淳子は、これより前の作品『燔祭』に登場する。少年による残虐な連続殺人、しかし少年法に守られた未成年の少年たちはその罪を問われることもなく、その罪を贖うどころか、英雄気取りに振る舞う。そういう犯罪者たちに、義憤を感じる彼女は、彼女の持つ、念力放火能力を少年たちに向ける。すなわち、法で裁けない犯罪者たちを、死刑していくのだ。まさしく、火あぶりにして。
この『クロスファイア』はその数年後の物語である。”装てんされた銃”と自認する彼女は、少年たちの殺人の現場に遭遇し、犯罪者たちを次々に火あぶりにしていく。その過程において、彼女は、犯罪を犯した者だけでなく、犯罪を犯そうとしているもの、犯罪者をかばう者、たまたま犯罪者と同じ場所にいた者、そして罪を犯していない者までも火あぶりにしていく。
彼女を追い詰めるのが、石津ちか子という中年の警察官である。彼女は、警察の、いや一般市民の”良心”の象徴である。彼女は犯罪者だからといって、火あぶりにすることはない。それは彼女が特殊な能力をもっていないからではない。警察官という法治国家の要を担う職業についているからだし、そもそも犯罪者は即焼き殺せば良い、という考えには与しない、というのは、極めてまっとうな考え方だ。
この作品は1998年に発表された。1995年には地下鉄サリン事件があり、また未成年による殺人が多発した時代であった。自尊心を肥大化させた若者たちは、自分が特別で、全能の存在であるかのように振る舞い、そして、簡単にキレた。自分が特別だというのも、全能であるというのも、勘違いにすぎないのだから、それがいとも簡単に脆くも崩れることを、彼らは過剰に恐れた。その恐れは、他者を傷つけることに向けられた。
自尊心を持つことは大切だと思うが、過度の自尊心は自分の成長を妨げる。しかも、少年法に象徴される甘やかされた環境に育った若者たちは、自分の行動に”責任をもつ”ということを身につけてこなかった。自分は特別で全能だから何をやってもよいと思いこんだ若者たちは、自分の行動に責任を持たないのだから、自分の行動の結果に責任をとらない。責任をとらなくて済むのならば、何をやってもよい、とさらに思いこみ、さらに過激で残酷な行動に走るようになった。
よく少年が犯罪を犯すと少年の”心の闇”という常とう句をマスコミは多用するが、そんなものはない(というか誰もが抱えているありふれたごく普通の感情でしかない)。そうではなく、彼らの行動の源は、”自尊心を傷つけられる恐怖”である。私たち大人がすべきことは、彼らの恐怖を取り除くことではなく、過度な自尊心を持つ必要はないんだよ、と教えてあげることである。それにより、彼らの恐怖は和らぐのではないだろうか。
おっと、今回はあまり書評になっていないぞ。次回は、この作品について語ります。
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著者:宮部 みゆき |
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