『農耕社会の成立〈シリーズ 日本古代史 1〉』(石川日出志著) 日本という国がまだ姿かたちがなかった頃に思いをはせる
日本という国がまだその姿かたちがなかった頃の時代。本州も四国も九州も北海道も沖縄もあったけれど、まだ日本という国は生まれていない。
私が抱く(というか、学校で習った気がする)弥生時代のイメージは、「大陸から海を渡ってやっていきた渡来人が、土着していた縄文人を駆逐して狩猟社会から農耕社会に変革していった」時代というイメージだ。そういう考えからすると、渡来人が多く移住してきた西日本の方が進歩して、渡来人が少ない東日本の方が遅れていた、という見方になってしまう。
しかし、この本で述べられているのは、狩猟社会から農耕社会に、縄文文化から弥生文化に、という流れは劇的に、またたく間に起こったのではなく、それはじわじわと起こった、そして、それは地域により段階的に起こった、というのだ。
確かに、縄文時代や弥生時代の遺跡から、渡来人が日本列島を征服していった、という痕跡はなく、むしろ、縄文文化を土壌として弥生文化が育っていったと観た方が無理がない。
しかし、この本であまり語られなかったこともある。例えば、農耕社会の発展とともに、小さな集落どうしがまとまってより大きな共同体に、集落がムラになり、クニになっていく過程がイマイチ語られない。この当時の遺跡から、集落は大陸のような城砦ではないことがわかるが、なぜ城壁をもたなかったのか(もたずにすんだのか)も私の興味があるところだ。集落がムラになり、クニになっていく過程の中で、ヒエラルキーや格差も生まれたはずだが、これについてもこの本ではよくわからない。
この本の最後には、邪馬台国についても言及されているが、九州北部にある国を外から支配していたと推測されるから、九州ではない、畿内だ、というのは説得力ゼロである。
このシリーズは、次からやっと”日本”という国の歴史に入っていく。楽しみだ。
![]() | ![]() | 農耕社会の成立〈シリーズ 日本古代史 1〉 (岩波新書)
著者:石川 日出志 |
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