『街場のマンガ論』(内田樹著) マンガが読める、ということを日本人は誇りにしても良い
内田センセーによる、”街場”のマンガ論。”街場”とタイトルのつく内田センセーの本は、本屋で見つけたら迷いなく買い。
ただ、”街場”シリーズは、内田センセーの大学での講義を元にしたものが多いが、このマンガ論は、内田センセーがブログ等で書かれたものをまとめたもので、ちょっと趣が違う。
この本には、栞代わりに内田センセーの『非実在有害図書について』という小文がついている。「有害な表現などない」「人間だけが有害でありうる」という意見には同意する。ただ、子どもたちに見せるのはちょっとどうかと思われるものは、なるべく子どもたちには見せないようにすべきだろうと思うけれども、表現に対する法的規制までいってはならないだろう。
さて、このマンガ論は、井上雅彦氏の賞賛から始まる。私は『スラムダンク』も『バカボンド』も読んだことがないのであまりピンとこないが、漫画家は絵を描けば描くほど物語の表現力が上がる、ということは良くわかる。基本、私は絵が下手な漫画家は嫌いである。絵が下手な漫画家は面白いと思えないのだ。
少女マンガ論では、少女マンガを読むには特別なリテラシーが必要だと言う。それは、”少女だったことがある”ことだと、内田センセーは言う。内田センセーは一時期、少女だったそうである。なるほど、私は少女マンガが読めない。(唯一読めるのが『ガラスの仮面』なのだが、これはほとんどスポ根マンガなので、まだ少年にはわかりやすいからだろう。)
内田センセーの真価を観たのは、ボーイズラブ論。女性作家による少年愛作品は、”反米”の流れ、という意見は面白い。私は、ボーイズラブというのは、女性の”疎外感”の表明だと思うんだけど、性的な文脈ではなく、日本の歴史という視点でとらえるということは到底できない。全共闘世代は凄いなあ、と思う。
また、宮崎駿が、日本には1億人のマーケットがあり、その巨大なマーケットを相手に創作をすれば良い、海外での評価はオマケみたいなもの、と言ったというのが、凄いと思った。ワールドスタンダードだとか、日本の国内だけを相手にして手はダメだとか、ガラパゴス化だとか言われるが、日本人は1億人もいる。日本人に通用するもの、日本人の心に響くものを、もっと大切にしたいものだ。
漢字とひらがなとカタカナとアルファベットがごっちゃになっている日本語が”読める”ということは、絵と吹き出しと擬音語や擬態語がごっちゃになっているマンガが”読める”ということで、日本語が読める、マンガが読める、というのは日本人の特性であり特長だとも言えるだろう。
欧米人は日本人ほど良くマンガを読むことはできない。マンガが読める、ということを日本人は誇りにしても良いと、私は思う。
![]() | ![]() | 街場のマンガ論
著者:内田 樹 |
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