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2010年8月 4日 (水)

映画『借りぐらしのアリエティ』 アリエティの流す涙の粒は大きい。こびとの視点に立つことにより、世界がまた違って見えてくる映画

借りぐらしのアリエッティ
監督:米林宏昌
2010年/日本

久々にジブリ作品を観た。床下に住み、人間のものを”借りて”くらしているこびとの物語だ。アリエッティの声を演じるのは、志田未来。最初は絵と声が馴染んでいないなあ、と思っていたが、物語が進むにつれ徐々に馴染んできた。

こびとたちにとって、”借り”とは”狩り”であり、それはイノチガケである。こびとは人間に寄って生きているけれども、彼らにとっての最大の脅威はその人間に他ならない。ともすれば、彼らは”狩られる”存在であるのだ。

それは、少年の”滅びゆく種族”という言葉にも表れている。有史以来、地球から多くの種が滅びた。しかし、それらは自然淘汰の結果として、(勝手に、)滅びたのではない。その多くは人間が滅ぼしたのだ。

少年は、その”滅びゆく種族”をなんとかして助けようとするけれども、それは彼らにとっては”余計なおせっかい”でしかなく、その結果、彼らは最大の危機を迎えることになる。

そして、ある意味、人間こそ、一番に”滅びゆく種族”であり、それは人間に寄って生きる地球上の生命すべてに影響を及ぼす。しかし、そういう想像を人間はなかなか働かすことができない。

なかなか、奥の深い映画だ。

映像も楽しめるものが多い。

一番、驚くのは、”水の粒の大きさ”だ。こびとたちに降り注ぐ雨、こびとがポットから注ぐお茶、水の粒は彼らにとって大きいのだ。そして、アリエティの流す涙の粒も、大きい。水という物質のもつ質量について、これほど意識したjことは今までなかった。

そして、こびとたちにとって、人間の生活の音は大きすぎる。そして、虫の飛ぶ音、バッタの跳ねる音のような、人間が気づかない音をこびとたちは聴くのだ。

そして、こびとたちにとって人間は、”巨人”なのである。アリエティが少年の肩に乗って歩く場面は、人間の大きさが実感できる。これも普段感じないことだ。私たちにとっては庭の散歩が、彼らにとってはイノチガケの旅になる。

こびとという視点に立つことにより、世界がまた違って見える。面白い映画だった。

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