『失われた近代を求めてI 言文一致体の誕生』(橋本治著) 私は田山花袋の『蒲団』を読んだことはないが、橋本治の解説を読んでいると、笑いがこみ上げてきた。日本の私小説の在り方はここに定まる
『言文一致体の誕生』というタイトルだが、日本語文体の模索の道がまず語られる。
それは、『古事記』に始まり、平安後期の僧・慈円の『愚管抄』を経て、二葉亭四迷の『浮雲』、翻訳『あひびき』に至る道のりである。
そして、二葉亭四迷の翻訳『あひびき』と、その表現手法として完成された言文一致体に触発された田山花袋の『蒲団』が、日本の私小説の流れを決める。
田山花袋は日本の小説家の”心構え”を確立してしまった。それはつまり、自分の恥ずかしいことを、包み隠さずありのままに、つまりは赤裸々に書く、ということだ。これが、今日に至る、日本の私小説のあり方を決定してしまった。
私は田山花袋の『蒲団』を読んだことはないが、橋本治の解説を読んでいると、笑いがこみ上げてきた。何かのパロディかギャグにしか思えない内容なのだ。そこにあるのは、他者がどう思っていようがまったく関係ない、作者の超越した妄想のオンパレード。これが、日本の私小説の原点となる。
それを嫌悪したのが、言文一致体の発明者である二葉亭四迷。『平凡』という小説は、”小説家たらんとした”二葉亭四迷の姿。
思えば、橋本治という作家も、”小説家たらんとして”格闘している作家とも言える。
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著者:橋本 治 |
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