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2009年9月14日 (月)

双調平家物語ノート2 院政の日本人

『双調平家物語ノート2 院政の日本人』
橋本 治 (著)
講談社

久しぶりに本の話題である。
この、私が今勉強している資格試験の参考書よりも分厚い本を読み終わるのに、2週間かかってしまった。

歴史を紐解くのに必要なものはタンテイ眼である、と言ったのは坂口安吾だが、橋本治が『双調平家物語』を通じて行ったのは、まさにこのタンテイの仕事である。

ある書物がある。歴史家はそれを前提に歴史を考える。しかし文学者はまずそれを疑う。そこに書かれているものから、「あれ?これはヘンだぞ」という匂いを嗅ぎ分ける。そして、その書物の著者はなぜ、そのような記述をしたのかを突き止めようとする。

また、ある書物に描かている人物について、歴史家は、それを歴史上の人物として考える。しかし文学者は、その人物を生きた人間として捉える。そして、そこに書かれているものから、「なぜこのひとはそんな言動をしたのか?」という断片から人物像を描きだそうとする。そして、なぜこのひとはそんな言動をしたと描かれているのかを突き止めようとする。

大化の改新から院政の時代に至るまで、国母たる前の女帝だとか、天皇の母親(その後ろ盾となる摂関家)であったものが、院政の時代になり男の時代となる。それは男(もっと言えばオヤジ)の欲望まるだしの時代で、つまりはそれまで男が、その欲望をまるだしにできなかった時代ということなのだ。
その時代の転換を、当時の書物はやはり「わからないと書いている」。もしくは、わからないから「何も書いていない」ということになる。

その「わからないと書いている」「何も書いてない」ことを浮き彫りにするのがタンテイの仕事である。そして、タンテイの仕事は、そこから人間を浮かび上がらさせる。

『双調平家物語』では、平氏政権の礎を築いたとされる平清盛は何もしない、古くて頑固で愚鈍で、こうはるはずというアテが外れると慌てふためく人物として浮かび上がる。一方、山猿の乱暴者とされる木曽義仲が、当時だれもが「わからない」と思っていた時代を「そのようなもの」と捉えていた先駆者として浮かび上がる。

そして、朝廷の官僚たちは危機管理能力がゼロで、トップが変わろうが世の中がどう変わろうが我関せずで超然としていられるというのが、なんとも今の世にまで一貫としてあるということも浮かび上がる。

歴史は人間が作ったものだ。歴史家はそれを忘れがちだが、文学者はそこで忘れられた人間にもう一度イノチを吹き込む。


院政の日本人


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