君子を目指せ小人になるな
『君子を目指せ小人になるな―私の古典ノート』
北尾 吉孝 (著)
致知出版社
君子とは、「私たちが生きているこの社会のなかで、他者と強調し、協力しながら、ともによりよく生きていこうとする人間を言う」。
そして、この混乱した世の中をよりよくしていくためには、ひとりひとりが「君子」となるべく生活していくことだと北尾氏は説く。
論語に代表される中国古典は、江戸時代から敗戦まで、もしかすると高度成長の終焉まで、縦社会の上下関係を確固たるものにするために、為政者の権力を正当化するために使われてきた。アホな為政者がいばりちらす社会の根拠にされてきた。それが、そういうものから自由になるたいと思うひとびとが中国古典を嫌悪する理由になっていると思われる。
しかし、北尾氏の中国古典の本を読むと、それは中国古典を為政者のよいように解釈(曲解)したものであるということがよくわかる。
また、教育の現場では、漢文を教えなくなっているそうだ。私も高校のときは漢文はなじみのある漢字の文章でありながら、英語より難解な印象が強かった。そういう苦手意識もまた、中国古典を私たちの生活から遠ざける理由になっていると思われる。そして、漢文に触れる機会すら失われれば、中国古典はますます私たちの生活から遠ざかっていくだろう。
冒頭の「君子」の定義だけでも、私たちがどれだけ中国古典に対して誤解している、理解していないことがわかると思う。中国古典のよさを見直し、私たちの心持を見直す、私たちの生活を見直す、という意味でも、北尾氏の著書はとっても有意義だ。
私もイヤな店員がいてもカリカリしないようにしよう。

君子を目指せ小人になるな
北尾 吉孝 (著)
致知出版社
君子とは、「私たちが生きているこの社会のなかで、他者と強調し、協力しながら、ともによりよく生きていこうとする人間を言う」。
そして、この混乱した世の中をよりよくしていくためには、ひとりひとりが「君子」となるべく生活していくことだと北尾氏は説く。
論語に代表される中国古典は、江戸時代から敗戦まで、もしかすると高度成長の終焉まで、縦社会の上下関係を確固たるものにするために、為政者の権力を正当化するために使われてきた。アホな為政者がいばりちらす社会の根拠にされてきた。それが、そういうものから自由になるたいと思うひとびとが中国古典を嫌悪する理由になっていると思われる。
しかし、北尾氏の中国古典の本を読むと、それは中国古典を為政者のよいように解釈(曲解)したものであるということがよくわかる。
また、教育の現場では、漢文を教えなくなっているそうだ。私も高校のときは漢文はなじみのある漢字の文章でありながら、英語より難解な印象が強かった。そういう苦手意識もまた、中国古典を私たちの生活から遠ざける理由になっていると思われる。そして、漢文に触れる機会すら失われれば、中国古典はますます私たちの生活から遠ざかっていくだろう。
冒頭の「君子」の定義だけでも、私たちがどれだけ中国古典に対して誤解している、理解していないことがわかると思う。中国古典のよさを見直し、私たちの心持を見直す、私たちの生活を見直す、という意味でも、北尾氏の著書はとっても有意義だ。
私もイヤな店員がいてもカリカリしないようにしよう。

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