本を買う、といふ事
本を買う、ということは、その作家に対する投資である、と最近思っている。
本を書いても、お金にならなければ、その作家はその活動を維持するのが難しいだろう。本を買う、そうすれば、その作家に印税が入る。本を買う、ということは、ささやかながら、その作家の生活を支え、作家としての活動を継続させることに役立っている(はずである)。そうなれば、その作家は、次回作を書く(はずである)。そして、読者は次回作を望んでいる(はずである)。
しかし、たまに、もうこの作家の本は読みたくない、ということもある。そうなれば、その作家の次回作は買わないだろう。つまり、読者のその作家に対する投資はそこでストップ、である。
その上、その投資を回収したければ、古本屋に売る、というテがある。古本屋に持っていっても二束三文にしかならないが、それでも、もう永遠に読まないであろう本が、部屋の本棚を占有させるよりはマシである。
古本屋で本を買われると、その作家には印税が入らない。そういう意味でその作家は機会損失をしているとも言えるが、しかし、古本屋で買った読者がその作家を気に入って、今度は本屋でその作家の本を買ってくれるかもしれない。
本もお金と同様、世間のまわりもの、だ。その回転が速ければ速いほど、太ければ太いほど、作家の活動を活発化することができる。
そして、その回転を速めるのも、太めるのも、読者である。
読みたい本を読み続けたいならば、読者はどんどん本を買うべきなのだろう。
本を書いても、お金にならなければ、その作家はその活動を維持するのが難しいだろう。本を買う、そうすれば、その作家に印税が入る。本を買う、ということは、ささやかながら、その作家の生活を支え、作家としての活動を継続させることに役立っている(はずである)。そうなれば、その作家は、次回作を書く(はずである)。そして、読者は次回作を望んでいる(はずである)。
しかし、たまに、もうこの作家の本は読みたくない、ということもある。そうなれば、その作家の次回作は買わないだろう。つまり、読者のその作家に対する投資はそこでストップ、である。
その上、その投資を回収したければ、古本屋に売る、というテがある。古本屋に持っていっても二束三文にしかならないが、それでも、もう永遠に読まないであろう本が、部屋の本棚を占有させるよりはマシである。
古本屋で本を買われると、その作家には印税が入らない。そういう意味でその作家は機会損失をしているとも言えるが、しかし、古本屋で買った読者がその作家を気に入って、今度は本屋でその作家の本を買ってくれるかもしれない。
本もお金と同様、世間のまわりもの、だ。その回転が速ければ速いほど、太ければ太いほど、作家の活動を活発化することができる。
そして、その回転を速めるのも、太めるのも、読者である。
読みたい本を読み続けたいならば、読者はどんどん本を買うべきなのだろう。
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