2012年2月 3日 (金)

『キング・オブ・ザ・ヴァイブス』(ロイ・エアーズ) まさに、キングな一枚。

『キング・オブ・ザ・ヴァイブス』(ロイ・エアーズ)

1. Feel Me
2. Obama Say
3. E. Funk
4. Oochi Koochi Koo
5. Emani
6. Virgin Vibes
7. Neo Soul Groove
8. It's A Better Way
9. Everybody's Groovin'
10. B B Bill
11. King Of The Vibes
12. Get Some Money


ヴィブラフォン奏者の巨人、ロイ・エアーズの新作。自分でキングを名乗るのは三浦カズとキヨシローくらいだと思っていたら、彼もキングだった。このアルバムはかなりファンキーだ。


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2012年2月 2日 (木)

『はじめての日本神話: 「古事記」読みとく』(坂本勝著) どうして古事記に「箸がお尻に突き刺さって死にました」といった不思議な記述があるのか、やっと腑に落ちました。

この本は、「古事記」の入門書として最適だ。ちくまプリマー新書なので、若いひとたちに向けてわかりやすいように書かれているのだろうが、この本を読んでいろいろと腑に落ちることがあった。

著者は、まず、何故、ひとは「神話」というものを必要とするのだろうか、という問題を提起する。私たちが生きている「いま、ここ」。その「いま、ここ」の外に広がる世界に思いをはせることは、同時に「いま、ここ」に生きる意味を問うことでもある。

この本は、まず、古事記のあらすじをわかりやすい現代語訳で紹介する。その後で、古事記で語られる、世界の始まり、天と地のつながりと別れ、自然と文明の争いと共生、といったテーマを紐解いていく。私にとって目から鱗だったのは、スサノオが粗ぶる自然であり、粗ぶる自然が自然への畏怖や祟りを駆逐し、さらに粗ぶる自然であるスサノオを根の国に追いやることで、天孫の祖であるアマテラスが君臨する、という構図。これはまさに土着の神(自然)を崇めることから天皇を崇め天皇を中心とした社会へのシフトを物語っている。最初は、暴れん坊の弟スサノオを恐れ、ベソを描いて天の岩土に隠れたりもしたアマテラスが、その後、勇ましく変貌する謎が解けた思いだ。

古事記には「箸がお尻に突き刺さって死にました」などという記述が出てくるが、何故、このような不思議な死に方が語られるのか、ちんぷんかんぷんだったのだが、この謎も解けました。興味のある方はぜひ、読んでみてください。この本は、古代史の本の中でもかなり面白いです。



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2012年2月 1日 (水)

『機動戦士ガンダムさん やっつめの巻 』(大和田秀樹作) 機動戦士ガンダムさんの「じ・おりじん編」は、作者のキシリアたんへのラブが伝わってくる優れもの。

ガンダムA誌創刊当時から続いている『機動戦士ガンダムさん』。初期の頃は4コマ漫画が面白かったのだが、最近の目玉は、『ガンダム創生』だろう。ガンダムという時代の動きを虚実を入り混じって描いているのだが、あの当時を知るものとしては、あの当時の空気そのものを見事に切り取っている。この巻では、後にマクロスで名を上げる板野イチローの鬼気迫る作画、そして、つなぎのトミノがガンダム映画三部作を1年間で公開するという、まさにサンライズ1年戦争を見事に描ききっている。(今となっては、つなぎのトミノも、ゼータガンダムを見事に骨抜きにしてしまう。つなぎのトミノも老いたものだ。)

そして、この巻のもうひとつの見どころは、機動戦士ガンダムさんの「じ・おりじん編」。ジ・オリジンで描かれたア・バオア・クーでのアルテイシアの反乱を、ガンダムさん流に描いている。ネタばらしをしたくないので、これ以上は言えないが、作者のキシリアたんへのラブが伝わってきます。



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2012年1月31日 (火)

『カンブリア宮殿 村上龍×経済人3―そして「消費者」だけが残った』(村上龍著,テレビ東京報道局編集)  日本の経営者たちの言葉をドジョウさんにも聞かせたい。

テレビ東京『カンブリア宮殿』の書籍化3冊目の文庫化。最近は作家というより経済評論家みたいになってしまった村上龍。しかし、経営者にインタビューする切り口は、やっぱり作家である。かって村上龍がホストを務めていたテレビ番組があった。そのとき、ホストである村上龍がゲストに与えるプレッシャーが凄まじかったのだが、流石は日本を代表する経営者たち、村上龍というプレッシャーの前でもたじろぐことはない。(それとも、村上龍のプレッシャーが弱くなったのか、、、)

「コミットメント、つまり必達目標のアイディアというのは、実は日本的ではありませんか。」(カルロス・ゴーン)
国民との約束はすべて反故にして平気な顔をして政権の座に居座り続けている今の政権与党に聞かせたい言葉だ。日本人は日本人らしさ、日本人の美徳を失っているのではないだろうか。村上龍は、12/29のテレビ東京『カンブリア宮殿』でこう言っていた。「政治には期待から監視へ。」「2012年は、政治家に漠然とした期待を抱くのではなく、明確な約束をさせ言質を取り、それを達成するかどうか監視せよ。」今、政治家に求めるべきは期待ではなくコミットメントだ。そして、コミットメントを実行できなかったら、責任を取ってもらおう。

「有史以来、リーダーのない国は滅びているんですよ。リーダーはある日突然、どんぐりの背比べの中から、『おい、お前だ』というのでは出てこない。」(丹羽宇一郎)
「ドジョウが出てきてこんにちわ」で総理大臣になれるなんて、この国の政治はやっぱりどこか間違っている。今の政権与党にはリーダーを育ているしくみがない。だから、出てくるやつ出てくるやつが、なんじゃそりゃなトンデモナイひとばかりだったりする。そして、かっての政権与党もコイズミさんがリーダーを育てるしくみをぶっこわしてしまった。もはや、この国の政党にはリーダーを育てるしくみがない。だから、大阪でハシモトといかいう独裁者が政権を獲れたりする。恐ろしい。

日本の政治家たちは、日本の経営者たちの言葉にもっと耳を傾けるべきだ。それは経済界の言いなりになれと言っているのではありませんよ。


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2012年1月30日 (月)

『没後150年 歌川国芳展』(後期展示)を鑑賞。そして、GO&CHANCE

没後150年 歌川国芳展』を観てきました。期間中、展示が前期・後期で入れ替わるので、今回は後期展示を鑑賞。前回(1/15)の時はゆったり鑑賞できたのですが、今回は来場者がかなり多く、ゆっくり鑑賞することができませんでした。リピーターもかなり多かったのではないかと推測。

Roppongi_008

しかし、目玉になる展示は前期に集中していたのか、それともゆっくり観れなかったせいなのか、今回はあまり衝撃を受けるような絵には出会えませんでした。前回の衝撃が大きすぎたのかもしれません。

六本木ヒルズを出て、テレビ朝日にお邪魔。テレビ朝日のマスコットキャラクターのゴーちゃんにご挨拶。(って言うか、今日、初めてテレビ朝日のマスコットキャラクターの名前がゴーちゃんであることを知りました。)

Roppongi_009

そして、3月6日にお邪魔する予定の、STB139スイートベイジルの場所を確認。

Roppongi_010

3月6日に何があるのか、と言えば、これ↓

中村龍史プロデュース

CHANCE Live Performance 2012 春の陣

0306chance212x300

2012.3/6 tue 開場18:00 開演19:30
会場 STB139スイートベイジル

前売 5000円(飲食別)
チケットは、こちらから → ローソンチケット(Lコード:76443)

店先にチラシを置いてあったらもらっちゃおうと思っていたのですが、残念。ありませんでした。

2012年1月29日 (日)

映画『しあわせのパン』 太陽があるから、月は輝き、月に照らされるから夜でも迷わずに歩くことができる。

しあわせのパン
監督:三島有紀子

この映画の舞台は、北海道・洞爺湖のほとりにある月浦。そこにあるカフェ・マーニ。水縞(大泉洋)の焼くパンとりえ(原田知世)のいれるコーピーと季節折々の料理。カフェ・マーニを営む夫婦と、そこを訪れるお客たちとのドラマ、そして、月浦の四季。

この映画は、まるで、「スロー・ライフ」を切り取ったかのよう。美味しいパンと綺麗な景色、そしてそこに流れるゆるやかな風のような時間。それがこの映画のすべてである。焼き立てのパンから溢れる湯気が焼き立てのパンの香りを想起させる。(それがあまりに心地よかったのか、劇場内のいたるところで寝息も聞こえましたが、、、)

太陽があるから、月は輝き、月に照らされるから夜でも迷わずに歩くことができる。最後に流れる「ひとつだけ」(矢野顕子の名曲、しかも忌野清志郎とのデュエットヴァージョン!)まで、ほっこりとした時間を映画館で味わえる。

初日だっかたらか、映画館に入場時、焼き立てのパンを無料で配っていました。こういう粋な計らいは嬉しいですね。

↓予告編

↓原作本

ちょっと余談ですが。この映画の中で、「companio」という言葉が出てきます。それは、「一緒にパンを分け合う仲間」という意味のラテン語です。そして、それはカンパニー(会社)という言葉の語源でもあります。もともと、会社というものは「パンを分け合う仲間」から成るものだったのですね。いまや、会社というのは、いかにして自分のパンを多くぶん取るか、もしくはパンを独り占めできるか、を競うことが当たり前になっていますが。もう一度、私たちは「会社」というものの存在意義を見直すべきなのかもしれません。


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2012年1月28日 (土)

『キャプテン・アメリカはなぜ死んだか』(町山智浩著)  アメリカに憧れ、アメリカに追従してきたことは、なんともバカバカしいことだったかと思わずにはいられない

メディアが伝えないアメリカ。著者の『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』を読んで、アメリカにはトンデモないひとびとがいっぱいいることを知り、ビックリした。

本書のタイトルにある「キャプテン・アメリカ」。チビで虚弱なアメリカ人が自ら改造人間になりアメリカの正義のために戦う。W・ブッシュは父親ができなかったイラクを攻略し、フセインを倒した。そのために何万というアメリカ兵が死に、テロリストというカテゴリー分けされた罪のないイラク人がそれ以上に死んだ。アメリカ人ももはやアメリカの正義というものを信じていない。信じていても、それに殉じることはしないだろう。アメリカン・ドリーム、アメリカン・ウェイ、それはグローバル化という津波となって世界を巻き込んだ。そして、誰もがそれに押し流され、疲れ果てた。

この本に登場するアメリカ人、特にセレブだとか、お金持ちだと呼ばれている人たちの奇行を読んでいると、アメリカに憧れ、アメリカに追従してきたのは、それはなんともバカバカしいことだったのだなあ、と思わずにはいられない。


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2012年1月27日 (金)

アニメ『機動戦士ガンダムUC 4』  ひとはわかりあいたいのにわかりあえない、戦いたくないのに戦わなくてはならない。そして、戦わないガンダムはカッコ悪い。

『ラプラスの箱』を巡る争乱は、ついに「重力の井戸」=地球に。

この第4話のユニコーンガンダムは、全く戦わない。敵モビルアーマーの前に立ちはだかり、敵パイロットと「対話」するだけである。ゼータガンダムからの影響なのか、ダブルオー(劇場版)のときも思ったのだけれど、ガンダムのパイロットはどうも「対話」したがるようだ。

「可能性に殺される」。バナージは可能性を信じている。自分の思いは例え敵として対峙している者にも伝わるはずだと信じている。しかし、自分が万能ではなく、自分の限界を知ったリディはそれに苛立つ。ガンダムが敵に銃を向けることができずにいるのとは対照的に、リディの駆るゼータプラスは前の時代の遺物のような(まるで恐竜みたいな)巨大モビルアーマーを撃破する。ゼータプラス、カッコ良い。そして、戦わないガンダムはカッコ悪い。

こういう言い方をすると、私が戦争好きに思われるかもしれないが、命のやりとりをする戦場で、なによりもまず「対話」という姿勢は死にに行くようなものだ。敵の前に丸腰で現れるなんて、殺してください、と言っているようなものだ。巨大モビルアーマーによる破壊を止めるためにまずすべきことは「対話」ではないだろう。一刻も早くそれを撃破して、戦闘を停止させることだ。それが戦場だろう。それをやらざるをえないから、戦いということは悲惨であり、悲劇なのだ。

最初のガンダムのパイロット、アムロ・レイは戦う前から敵と対話はしなかった。そして、ひとはわかりあえることができるか、それが叶うその瞬間にそのひとを失った。過酷だけれども、私はそれが真実だと思う。最初から「対話」でわかりあえる、という立ち位置は甘いし、間違っている。

もう一度言うけれど、戦わないガンダムはカッコ悪い。ひとはわかりあいたいけれど、わかりあえない。ひとはできることならできることなら戦いたくはないけれども戦わざるを得ない。だから、ガンダムという物語(悲劇)はひとの心に届くのではないだろうか。


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2012年1月26日 (木)

『乱反射』(貫井徳郎著) 私たちのだれもが、身勝手、甘えを抱えて生きている。それが悲劇を生むこともある。

貫井徳郎という作家は、「悪意」を持った作家である。そして、私にとって最も読後感が悪い作家である。そういう作家の本は古本屋に売って、その作家の本を読まないのが私の読書スタイルなのだが、この貫井徳郎という作家に限ってはなかなかそうやって切り離せない、希有な作家である。それは、この作家が自分の中の「悪意」というものにじっと向き合って逃げ出さないからなのだろう。

地方都市に住む幼児が、倒れた街路樹の下敷きになって亡くなってしまう。何故、その子は亡くなったのか、新聞記者である父親はその真相を探ろうとするが、、、

その子を殺したのは、木の下の犬のフンが恐くてその木の健康診断をしなかった潔癖症の庭師なのか?そうでなかったら、木の下に犬のフンを掃除しなかった市役所職員なのか?そうでなかったら、木の下に犬にフンをさせて持ち帰らなかった犬の飼い主なのか?そうでなかったら、緑を守ろうとその木の健康診断を妨害した市民運動した主婦たちなのか?そうでなかったら、救急外来を受け入れなかった病院の担当医なのか?そうでなかったら、救急外来が受け入れられないようにした夜間外来に押し掛ける患者たちなのか?そうでなかったら、救急車を巻き込んだ渋滞の元を作った女性ドライバーなのか?

「ちょっとくらい大丈夫だろう。」「自分だけじゃないから大丈夫だろう。」「自分はこれまで頑張ってきたのだからこれくらい許されるだろう。」そんな身勝手がつもり積もって、幼い命を奪ってしまう。被害者が2歳児というあたり、この作家の悪意を強く感じる。だからこそ、私たちのこの物語は胸を突く。それは、私たちのだれもが、そういう身勝手、甘えを抱えて生きているからだ。

そして、現代人は自分の落ち度を突かれると、どうしてそういうことを言われなくてはならないのかと激昂するか、自分のせいではないと自分に言い聞かせて沈黙するか、のどちらかだ。いずれにしろ、自分の責任が問われるのが恐ろしいのだ。そういう責任というものを負いたくはないのだ。それはそうだろう。でも、責任を引き受けない生き方が楽しいのか、立派なのかどうかは別問題だ。「晩節を汚す」という言葉をこの物語で久々に聞いて、私ははっとさせられた。


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2012年1月25日 (水)

最後から二番目のお伊勢参り(その3) その手は桑名の焼き蛤。

お伊勢参りした後は、桑名に戻って、多度大社にお参り。桑名駅から養老線に乗り、多度駅で下車。ひたすら25分歩きましたよ。

↓よくニュースで見る上げ馬行事は、この坂を登ります。写真だとちょっと判りにくいですが、かなり急こう配です。お馬さんがこの坂を登り切れば、五穀豊穣だそうです。
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↓桑名に戻って、桑名名物、焼き蛤をいただきました。その手は桑名の焼き蛤。熱いうちに、箸を使わずにそもまま口でじゅるる、と食べるのが美味しい食べ方だそうです。
Kuwana_047

会社に入って最初の職場が桑名でした。転勤になったときに、もう二度と桑名に戻って来ないと心に決めていたのですが、桑名の職場でお世話になった方が定年退職されるので、もう一度、桑名に行く決心をしました。桑名を離れて15年ですが、かっての職場の仲間たちも暖かく迎えてくれてありがたく感じました。私もその当時からすると体重は増えたものの、「変わらないね」と言われました。まあ、もともと老け顔なのかもしれませんが(笑)。変わらないことは良いことだと理解しましょう。

今回のお伊勢参りはそれ自体が目的ではなかったので、「最後から二番目の」という但し書きをさせてもらいました。生きているうちにもう一度、お伊勢参りをしたいものです。

«最後から二番目のお伊勢参り(その2) お伊勢参りのご褒美は、赤福のぜんざい

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